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アメリカは本土の48州と、飛び州のアラスカとハワイの2州、連邦直属でどの州にも属さない人口66万人の首都ワシントンから構成される。更に、海外領土としてプエルトリコ、アメリカ領サモア、グアム、ヴァージン諸島など多数存在する。国土面積は、およそ930から960万平方キロメートルとされ、面積約380000?の日本の25倍の規模。統計によって数値に揺らぎがあるのは、おおむね五大湖水域の処理の仕方に起因するものである。その他の大国と比較すると、亜米利加は露西亜、加奈陀に次ぐ面積であり、世界一人口が多い中華人民共和国とは拮抗している。即ち世界で第3位若しくは第4位の面積を有するということになる。本土は北アメリカ大陸の中央部と北西に在り、東側は大西洋、南側をメキシコ湾とメキシコ合衆国、西側を太平洋、そして北側をカナダで囲まれる。北側に隣接するカナダとは、北緯49°線、五大湖とセントローレンス川で国境線が引かれ、カナダを挟んで北西にさらに進むと飛び地として州都アンカレッジのアラスカがある。アラスカ州は昔はロシアが所有していたが、後にアメリカがロシアから購入した。南側はリオグランデ川を介してメキシコ合衆国と接する。大陸の東側に南北にアパラチア山脈、大陸の西寄りには南北にロッキー山脈があり、非常に険しい山岳地帯となっている。アパラチア山脈とロッキー山脈の間は広大な平原になっており、農業や牧畜業が盛んである。大陸の南東端にはフロリダ半島がある。北西部のカナダとの国境地域には五大湖と呼ばれる湖がある。アパラチア山脈の東側はニューヨーク、ワシントンD.C.、ボストンなどの都市があり人口集中地帯になっている。ロッキー山脈の西側の太平洋沿岸にもロス、サンフランシスコ、シアトルなどの大都市がある。ロサンジェルス市は日本より広いカリフォルニア州に属する人口約380万人のアメリカ第二の都市である。五大湖沿岸にはシカゴやデトロイトなどの大都市があるが、大陸の中西部には大都市が比較的少ない。
 アメリカ合衆国は本土の48州と、飛び州のアラスカとハワイの2州、連邦直属の首都ワシントンD.C.から構成される。さらに、海外領土としてプエルトリコ、アメリカ領サモア、グアム、ヴァージン諸島などがある。国土面積は、およそ930から960万平方粁とされ、日本(37.8万平方?)の約25倍の規模である。統計によって数値に揺らぎがあるのは、おおむね五大湖水域の処理の仕方に起因するものである。その他の大国と比較すると、ロシア、カナダに次ぐ面積であり、中華人民共和国とは拮抗している。すなわち世界で第3位若しくは第4位の面積を有するということになる。本土は北アメリカ大陸の中央部と北西にあり、東側は大西洋、南側をメキシコ湾とメキシコ合衆国、西側を太平洋、そして北側をカナダで囲まれる。北側に隣接するカナダとは、北緯49度線、五大湖とセントローレンス川で国境線が引かれ、カナダを挟んで北西にさらに進むと飛び地としてアラスカがある。南側はリオグランデ川を介してメキシコと接する。大陸の東側に南北にアパラチア山脈、大陸の西寄りには南北にロッキー山脈があり、山岳地帯となっている。アパラチア山脈とロッキー山脈の間は大平原になっており、農業や牧畜業が盛んである。大陸の南東端にはフロリダ半島がある。北西部のカナダとの国境地域には五大湖と呼ばれる湖がある。アパラチア山脈の東側はニューヨーク、ワシントンD.C.、ボストンなどの都市があり人口集中地帯になっている。ロッキー山脈の西側の太平洋沿岸にもロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトルなどの大都市がある。五大湖沿岸にはシカゴやデトロイトなどの大都市があるが、大陸の中西部には大都市が比較的少ない。
アメリカ合衆国は本土の48州と、飛び州のアラスカとハワイの2州、連邦直属の首都ワシントンD.C.から構成される。さらに、海外領土としてプエルトリコ、アメリカ領サモア、グアム、ヴァージン諸島などがある。国土面積は、およそ930~960万 km2とされ、日本(37.8万平方km)の約25倍の規模である。統計によって数値に揺らぎがあるのは、おおむね五大湖水域の処理の仕方に起因するものである。その他の大国と比較すると、ロシア、カナダに次ぐ面積であり、中華人民共和国とは拮抗している。すなわち世界で第3位若しくは第4位の面積を有するということになる。本土は北アメリカ大陸の中央部と北西にあり、東側は大西洋、南側をメキシコ湾とメキシコ合衆国、西側を太平洋、そして北側をカナダで囲まれる。北側に隣接するカナダとは、北緯49度線、五大湖とセントローレンス川で国境線が引かれ、カナダを挟んで北西にさらに進むと飛び地としてアラスカがある。南側はリオグランデ川を介してメキシコと接する。大陸の東側に南北にアパラチア山脈、大陸の西寄りには南北にロッキー山脈があり、山岳地帯となっている。アパラチア山脈とロッキー山脈の間は大平原になっており、農業や牧畜業が盛んである。大陸の南東端にはフロリダ半島がある。北西部のカナダとの国境地域には五大湖と呼ばれる湖がある。アパラチア山脈の東側はニューヨーク、ワシントンD.C.、ボストンなどの都市があり人口集中地帯になっている。ロッキー山脈の西側の太平洋沿岸にもロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトルなどの大都市がある。五大湖沿岸にはシカゴやデトロイトなどの大都市があるが、大陸の中西部には大都市が比較的少ない。

アメリカ合衆国は本土の48州と、飛び州のアラスカ
とハワイの2州、連邦直属の首都ワシントンD.C.から
構成される。さらに、海外領土としてプエルトリコ、
アメリカ領サモア、グアム、ヴァージン諸島などが
ある。国土面積は、およそ930~960万平方㎞とさ
れ、日本(37.8万km)の約25倍の規模である。統
計によって数値に揺らぎがあるのは、おおむね五大
湖水域の処理の仕方に起因するものである。その他
の大国と比較すると、ロシア、カナダに次ぐ面積で
あり、中華人民共和国とは拮抗している。すなわち
世界で第3位もしくは第4位の面積を有するというこ
とになる。本土は北アメリカ大陸の中央部と北西に
あり、東側は大西洋、南側をメキシコ湾とメキシコ
合衆国、西側を太平洋、そして北側をカナダで囲ま
れる。北側に隣接するカナダとは、北緯49度線、五
大湖とセントローレンス川で国境線が引かれ、カナ
ダを挟んで北西にさらに進むと飛び地としてアラス
カがある。南側はリオグランデ川を介してメキシコ
と接する。大陸の東側に南北にアパラチア山脈、大
陸の西寄りには南北にロッキー山脈があり、山岳地
帯となっている。アパラチア山脈とロッキー山脈の
間は大平原になっており、農牧業が盛んである。大
陸の南東端にはフロリダ半島がある。北西部のカナ
ダとの国境地域には五大湖と呼ばれる非常に大きな
湖がある。アパラティア山脈の東側はニューヨーク
、ワシントンD.C.、ボストンなどの都市があり人口
集中地帯になっている。ロッキー山脈の西側の太平
洋沿岸にもロサンゼルス、サンフランシスコ、シア
トルなどの大都市がある。カリフォルニア州はその
内2つの都市を有しており、人口が多い。五大湖沿
岸にはシカゴやデトロイトなどの大都市があるが、
北米大陸中西部は大都市があまり多くない。
 アメリカの気候は広い国土のために極めて多様である。最北部が北極圏に属するアラスカは、年間を通じて冷涼な気候である。ほぼ全域が亜寒帯に属し、北極圏に
は寒帯のツンドラ気候が分布するが、南岸部は暖流の影響で西岸海洋性気候も見られる。一方、太平洋上の諸島であるハワイは温暖な気候で、ビーチリゾートとし
て人気がある。本土では、北東部から北にかけて湿潤大陸性気候が占め、冬は寒いが、夏はかなり暑い。東部から中央部は亜寒帯湿潤気候だが、グレートプレーン
ズ周辺や、カナダとの国境部では暑くなる日も多い。エリー湖やオンタリオ湖南岸はアメリカの平野部で最も降雪量が多いが、日本の日本海側と比べるとかなり少
ない。南東部から南部は温暖湿潤気候で、フロリダ南端ではサバナ気候が見られる。西部は一般的に乾燥していてステップ気候が広く見られ、メキシコ国境付近で
は砂漠気候が確認できる。さらに、太平洋岸南部は地中海性気候だが、太平洋岸北部へ進むとアラスカ南東端と同じく西岸海洋性気候となる。自然災害には、メキ
シコ湾岸の集中豪雨、メキシコ湾岸と大西洋岸南部のハリケーン、中央部の平原に多い竜巻、カリフォルニア州の地震、南カリフォルニアの夏の終わりのスモッグ
と山火事、五大湖や東海岸の大雪などがある。アメリカ中西部?南部からメキシコ湾沿岸にかけての地域は、北極からの寒気を遮る山脈が無いため、緯度のわりに
猛烈な冷え込みを記録することがあり、普段は温暖なフロリダ半島北部やメキシコ湾沿岸地域でも氷点下まで下がることも珍しくない。アメリカ合衆国では、在来
種だけで約17,000種の植物が確認されており、カリフォルニア州だけで5,000種の植物が現存する。 世界で最も高い木(セコイア)、最も大きな木(セコイアデン
ドロン)、最も古い木(ブリッスルコーンマツ)は同州に存在する[76]。動物界では400種以上の哺乳類、700種以上の鳥類、500種以上の爬虫両生類、90,000種以
上の昆虫が確認されている[77]。ベーリング海峡でユーラシア大陸と、パナマ地峡で南アメリカ大陸とつながっているため、旧北区と新熱帯区とは同じ種や近縁の
種を共有している。ロッキー山脈は低地の生物にとって遺伝子流動の障害となっており、ロッキー山脈の東と西では異なる種の動植物が分布する。熱帯から北極圏
にまたがる国土のため、アメリカは多様な動植物相を持つ。ハワイ諸島とカリフォルニア州は世界的な生物多様性のホットスポットである。しかし、約6,500種の外
来種が作為的あるいは非作為的に持ち込まれて帰化しており[78]、少数の侵略的外来種が固有の動植物の生存を脅かし、甚大な経済的被害をもたらしている。


アメリカにおける動植物の保護の歴史は長い。1872年にイエローストーン国立公園が世界初の国立公園に制定されて以来、連邦政府は57の国立公園とその他の国有地を保護してきた[79]。一部の地域では、人の影響を受けていない環境を長期的に保存するために保護区としての原生地域が指定されている。連邦政府は国土の28.8%にあたる総面積1,020,779マイル(2,643,807 km2)を保護しており[80]、大部分は国立公園や国定森林として保護されているが、一部は原油や天然ガス、その他の鉱産資源の採掘や牛の放牧のために賃貸されている。1973年には固有の動植物と生息地を保護するために絶滅の危機に瀕する種の保存に関する法律が制定された。この法律に従って絶滅危惧種と絶滅危機種の現状を観察し、種の存続に不可欠な生息地を保護する機関が魚類野生生物局(The U.S. Fish and Wildlife Service)である。個々の州も独自に種と生態系の保全を行っており、連邦と州の協力を促す制度も存在する。魚類野生生物局や国立公園局、森林局などを統括する内務長官は大統領に任命されるため、生態系の保全も行政の他の部門と同じく政権の優先事項に大きく左右される。2007年現在、アメリカ合衆国の化石燃料の消費による二酸化炭素の排出量は中華人民共和国に次いで世界第2位である[81]が、国民一人あたりの排出量は依然として世界第1位である。


アメリカ合衆国の首都ワシントン
ワシントンD.C.(ワシントン・ディーシー、英: Washington, D.C.)は、アメリカ

合衆国の首都である。同国東海岸、メリーランド州とヴァージニア州に挟まれたポ

トマック川河畔に位置する。現代の主要都市としては狭隘で人口もさほど多くない

が、超大国の政府所在地として国際的に強大な政治的影響力を保持する世界都市で

あり、また金融センターとしても高い重要性を持つ。首都としての機能を果たすべ

く設計された、計画都市である[† 1]。法律上の正式名称は「コロンビア特別区」

(District of Columbia)である。コロンビア特別領 (territory of Columbia)

として1790年に創設され、1801年のコロンビア特別区自治法(旧)により地方自治

権を持つコロンビア特別区となった。特別区内には自治権を持つ市や郡があり、そ

の一つが首都たるワシントン市だった。しかし1871年のコロンビア特別区自治法(

新)により特別区内の全ての自治体は特別区に統合された。この歴史的な経緯から

、かつての呼び名である Washington, District of Columbia がしばしば使われる

。ただしこれは「コロンビア特別区のワシントン市」という意味の語句であり、か

つての正式名称というわけではない。またそれゆえ、これを和訳する場合は(語順

どおりにワシントン・コロンビア特別区ともするが)直訳はコロンビア特別区ワシ

ントンとなる。略してワシントンD.C.と呼び、米国ではWashington、The District

、または単にD.C.とも通称する。日本語ではワシントン市、首都ワシントン、また

は単にワシントンと呼ぶことも多い。"D.C." は "District of Columbia"(コロン

ビア特別区)の頭文字で、南アメリカのコロンビア共和国と同様、クリストファー

・コロンブスにちなんだ名である。日本語では、このワシントンD.C.のことは単に

「ワシントン」と呼んでも、ワシントン州のことはワシントンD.C.との混同を避け

るため常に「州」を付けて「ワシントン州」と呼ぶのが一般的である。漢字による

当て字は華盛頓で、華府と略す。ポトマック川の北岸に位置し、南西をバージニア州に、その他の方角をメリーランド州に接している。2010年度国勢調査による人口は601,723人[2]で全米24位だが、労働時間帯には近郊からの通勤者により人口100万を超える。ワシントンD.C.を中心に、メリーランド州、バージニア州北部、ウェストバージニア州の最東部2郡を併せた地域を一般に「首都圏」または「メトロポリタン」と呼んでいるが、その人口は5,582,170人(2010年国勢調査)[2]で、全米7位である。また北東に約65キロメートルの地には人口620,961人(2010年国勢調査)を抱えるメリーランド州の最大都市ボルチモア[2]が位置している。このボルチモアといわゆる首都圏を併せたワシントン・ボルチモア・北バージニア広域都市圏[† 2]の人口は8,572,971人(2010年国勢調査)[2]を数え、全米4位の規模である。アメリカ合衆国憲法1条により、各州とは別に、恒久的な首都としての役割を果たすため連邦の管轄する区域が与えられている。アメリカ合衆国三権機関(大統領官邸(「ホワイトハウス」)、連邦議会(議会議事堂)、連邦最高裁判所)が所在し連邦機関が集まる他、多くの国の記念建造物や博物館(スミソニアン博物館など)も置かれている。中心部には高さ169メートル(約555フィート)のワシントン記念塔がある。同市のナショナル・モールにおける博物館群は質・量ともに世界でもトップクラスであり、観光資源にもなっている。ポトマック川の入り江であるタイダルベイスンの畔にある桜の木々は、アメリカ合衆国内で有数の桜の花見の名所となっており、毎年全米桜祭りが開催される。172か国の大使館に加え、世界銀行、国際通貨基金 (IMF)、米州機構 (OAS)、米州開発銀行、汎アメリカ保健機関 (PAHO) の本部も置かれている。労働組合、ロビイスト、職業組合など、各種団体の本部もある。連邦議会がワシントンD.C.における権限を有している。連邦議会に関してワシントンD.C.は、下院に本会議での投票権を持たない市代表(代議員)を選出しているものの、上院議員の議席は与えられていない。ワシントンD.C.が州であると仮定し他の州と比較すれば、面積ではロードアイランド州に後れて最下位、人口では最下位から2番目(最下位はワイオミング州)であるが、人口密度では1位、州民総生産では35位、また黒人の比率では1位であり、国全体のマジョリティ(非ヒスパニック系白人)とマイノリティとは反転している。2011年現在、ワシントンD.C.においては死刑制度が廃止されている。2016年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第10位の都市と評価されており、アメリカではニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴに次ぐ第4位であった[3]。アメリカ合衆国憲法第1条第8節第17項によって、連邦議会にアメリカ合衆国の首都を設立する権限が与えられた。同条によれば、「ある州が譲渡し、連邦議会が受諾することにより、合衆国政府の所在地としての地区(ただし10マイル四方を超えてはならない)」が認められた[4]。ジェームズ・マディソンは、1788年1月23日の『ザ・フェデラリスト』第43篇で、合衆国の首都は、その持続と安全のため、各州からは別個のものとすべきだとして、連邦の管轄する区域の必要性を説明した[5]。1783年には、フィラデルフィアに置かれていた連邦議会に対し、兵士らの暴動により攻撃が加えられたことも、合衆国政府が安全に配慮する必要性があることを強調することとなった[6]。憲法は新たな首都の場所を特定していなかったが、マディソン、トーマス・ジェファーソン及びアレクサンダー・ハミルトンの3人は、1790年、首都を南部に置くことを条件に、合衆国が州の発行した戦時負債を肩代わりするとの合意に達した(後に1790年協定として知られる)[† 3]。1790年7月16日、首都立地法により、新しい恒久的な首都がポトマック川河畔に置かれることになり、詳細はジョージ・ワシントン大統領により選定されることとなった[7]。当初の形は、合衆国憲法により認められていた通り、一辺が10マイル (16 km) のダイヤモンド型で、100平方マイル (260 km2) であった。新首都建設のためメリーランド州とバージニア州が領土の一部を割譲し、新しい「連邦の市」はそのうちポトマック川の北岸に建設されることとなった。もっとも、同じ100平方マイルの地区内にはすでに2つの独立した自治体(1749年に設立されたアレクサンドリア市[8]と、1751年に設立されたジョージタウン市[9])があった。1791年9月9日、この連邦の市はジョージ・ワシントンに敬意を表してワシントン市と命名され、この100平方マイルの地区全体はコロンビア区 (Territory of Columbia) と名付けられた[† 4](コロンビアは、当時合衆国を指す詩的な名称として使われていた言葉である)。連邦議会は、1800年11月17日、ワシントンで最初の議会を開催した[10]。1801年のコロンビア特別区基本法 (The Organic Act) により、正式にコロンビア特別区が編制され、アレクサンドリア市、ジョージタウン市、ワシントン市を含む連邦の管轄地域全体が、連邦議会の排他的支配下に置かれた[11]。さらに、特別区内で自治体に組み込まれていない領域は、二つの郡 (county) に組織された。すなわち、ポトマック川北岸のワシントン郡と南岸のアレクサンドリア郡である。同法制定後は、特別区内の市民はメリーランド州やバージニア州の住民ではなくなり、議会の代表権もなくなることとなった[12]。



19世紀のフォード劇場。1865年リンカーン大統領暗殺の場となった。
米英戦争の中、1814年8月24日から25日にかけて、イギリス軍がアメリカ軍によるヨーク(現在のトロント)焼き討ちの報復として首都を焼き討ちした。議会議事堂、財務省、ホワイトハウスはこの攻撃の中で焼かれ、破壊された[13]。ほとんどの政府の建物は速やかに修復されたが、議事堂は大規模な建設工事が行われ、1868年になって初めて完成を見た[14]。

1830年代、特別区の南にあるアレクサンドリア郡は、より内陸に位置しチェサピーク・オハイオ運河に面したジョージタウン港との厳しい競争などにより経済的に落ち込んでいた[15]。当時、アレクサンドリアは奴隷貿易の主要な市場であったが、奴隷廃止論者が首都における奴隷制を終わらせようとしているとの噂が流れた[16]。富をもたらす奴隷貿易ができなくなることを避ける目的もあって、1846年、アレクサンドリアのバージニア州への返還の可否について住民投票が行われ、可決された。同年7月9日、連邦議会は、特別区のうちポトマック川より南の領域(約100km2)をバージニア州に返還することに同意した[15]。この土地は現在はアーリントン郡に属し、アレクサンドリア市の一部をなす。この結果、ワシントンD.C.は、頂点を北に向けた正方形のうち、南西部の川に区切られた区画を除いた形をなすことになった。なお、その4年後、1850年協定により、特別区内における奴隷貿易(奴隷制そのものではない)が禁止された[17]。

ワシントンは、1861年の南北戦争勃発までは小さな町であった。南北戦争の結果、合衆国政府は大きく膨張し、それにより町の人口も著しく増大した。解放奴隷の大量の流入もこれに寄与した[18]。1870年までに、特別区の人口は、13万2000人近くにまで増えた[19]。しかし町の成長にもかかわらず、ワシントンの道路は未舗装であり、基本的な衛生設備もないなど、条件が非常に悪かったため、首都を別の場所に移転することを提案する連邦議会の議員もいた[20]。
1963年のワシントン大行進でリンカーン記念館リフレクティング・プールを囲む群衆
1871年のコロンビア特別区基本法 (District of Columbia Organic Act of 1871) により、連邦議会は特別区全体の新しい政府を創設し、ワシントン市、ジョージタウン市及びワシントン郡を一つの自治体に統合した[21]。これをもって現在のワシントンD.C.が形作られ、この町が「ワシントン」と「コロンビア特別区」の両方の名前で知られているのはこのためである。同じ法律の中で、連邦議会は公共事業委員会を設立し、町の近代化に当たらせた[22]。1873年、ユリシーズ・グラント大統領は、同委員会の最も有力なメンバーであるアレクサンダー・シェパードを新たに設置された知事職に任命した。その年、シェパードは2000万ドルを公共事業に費やし(2007年は3億5700万ドル)[23]、ワシントンの近代化を行ったが、同時に財政を破綻させることにもなった。1874年、連邦議会はシェパードの知事職を廃止して直接統治を選んだ[20]。更なる町の改修作業は、1901年に行われたマクミラン・プラン (McMillan Plan) を待たなければならなかった[24]。特別区の人口は、しばらくの間比較的安定していたが、1930年代の世界恐慌ではフランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策立法により、ワシントンの官僚が増加した。第二次世界大戦で政府の活動は更に増大し、首都における政府職員の数も増加した[25]。1950年までに、特別区の人口は80万2178人というピークに達した[26]。1961年、アメリカ合衆国憲法修正第23条[27]により、ワシントンD.C.市民に初めて大統領選挙の選挙権が与えられた。コロンビア特別区全体に対して、人口の最も少ない州に与えられる、選挙人3人の定数が確保された。公民権運動の指導者キング牧師が1968年4月4日に暗殺された後、特別区(主に北西地区のUストリート、14番ストリート、7番ストリート)で暴動が発生した。暴動は3日間続き、1万3000人以上の連邦警備隊とコロンビア特別区州兵がようやく鎮圧に成功した。多くの店やその他の建物が焼かれ、多くが1990年代後半に再建されるまで荒廃したままであった[28]。1973年、連邦議会はコロンビア特別区地方自治法 (Home Rule Act) を制定し、特別区に公選制の市長と議会を導入することとした[29]。1974年、市長の公選が行われ、1975年、行政委員会委員長であった民主党のウォルター・ワシントン (WalterWashington) が特別区初めての公選の市長、かつ特別区初めての黒人の市長となった[30]。1979年、マリオン・バリー (Marion Barry) が市長に選ばれ、4年間の任期を3期連続で務めた。しかし麻薬の使用が噂され、3期目の任期半ばの1991年にはFBIのおとり捜査によりクラック・コカイン所持使用で現行犯逮捕され、公判で禁固6か月の実刑判決を受けた。この不祥事でバリーは次の選挙には出馬しなかった[31]。1991年、次に市長となったシャロン・プラット・ケリー (Sharon Pratt Kelly) は、アメリカの大都市で初めて市長になった黒人女性である[32]。1994年、ケリーの任期が満了すると、バリーが市長に返り咲いた[31]。1998年、エール大学卒の弁護士、アンソニー・ウィリアムス (Anthony Williams) が市長に選ばれて2期務め、2007年1月からは2011年1月までアドリアン・フェンティ (Adrian Fenty) が市長を務めている[33]。 2011年1月ビンセント・グレー (Vincent C. Gray) が第6代のワシントンD.C.政府の市長に就任し現在に至っている。1995年までに、市は債務超過のため支払不能になりかけていた[31]。これを受けて、連邦議会はコロンビア特別区財政管理委員会を設立し、市のすべての支出を監督させることとした[34]。特別区は、2001年9月に財政管理権限を回復し、同委員会の活動は中止された[35]。2001年9月11日、テロリストがアメリカン航空77便をハイジャックし、ワシントンD.C.郊外のヴァージニア州アーリントンにある国防総省(ペンタゴン)に航空機を突入させた。ユナイテッド航空93便もホワイトハウスまたは連邦議会議事堂のいずれかを標的としていたが、同機はペンシルベニア州シャンクスヴィル近くで墜落した[36][37]。ペンタゴンへの攻撃が行われた場所には、2008年9月11日、ペンタゴン記念館がオープンした[38]。
ワシントンD.C.の航空写真。市街東部から西南西方向を望む。写真中央が連邦議会議事堂、左下が連邦最高裁判所。右上の細長い白い塔はワシントン記念塔。ホワイトハウスはその右手に位置するが写っていない。議事堂から右斜め上方へ延びる舗装道路(ペンシルベニア通り)の先にある。また、議事堂から記念塔を経てポトマック川に至る細長い緑地はナショナル・モールと呼ばれる。ペンタゴンは写真左上の川向こうに写っている。
ワシントンD.C.は、全部で68.3平方マイル (177 km2) の市域を有し、そのうち61.4平方マイル (159 km2) が陸地、6.9平方マイル (18 km2, 10.16%) が水面である[39]。特別区は、当初100平方マイル (260 km2) の面積を有していたが、1846年に南の一部をバージニア州に返還したため、この面積となっている。現在の市域は、メリーランド州から割譲された領域のみから成っている[40]。そのため、ワシントンD.C.は南東・北東・北西をメリーランド州に、南西をバージニア州に囲まれている。特別区内には、三つの大きな天然の河川がある。ポトマック川、アナコスティア川、ロック・クリークである。アナコスティア川とロック・クリークはポトマック川の支流である[41]。

合衆国首都設置法は、ワシントン大統領に、東はアナコスティア川の河口までの範囲で新しい首都の正確な位置を選ぶ権限を与えた。しかし、ワシントン大統領は、区の南端にアレクサンドリア市を含むようにするため、この連邦の領域の境界を南東に動かした。1791年、連邦議会はワシントン大統領の選んだ区域を認めるため、合衆国首都設置法を修正し、これによりバージニアから割譲された領域も含まれることとなった[42]。この場所は、多くの利点を有していた。ポトマック川は特別区まで航行可能であり、船による交通が可能であった。また、アレクサンドリアとジョージタウンの既成の港は、市にとって重要な経済的な基盤を提供した。さらに、内陸の特別区は、北西部領土に近かった[42]。1791年から1792年にかけて、アンドリュー・エリコットとベンジャミン・バネカーが特別区の境界を調査し、1マイルごとに境界石を設置した。その多くが今も残っている[43]。

一般に伝えられるところとは異なり、ワシントンD.C.は沼地を埋め立てて建設されたわけではない[44]。確かに二つの川とその他の小川に沿って湿地が広がっていたものの、特別区の領域のほとんどは農地と樹木に覆われた丘から成っていた[42]。特別区内で、自然の状態で最も高い地点は、海抜125メートルのテンリータウンである[45]。最も低い地点は海水面と同じポトマック川である。ワシントンD.C.の地理的な中心点は、北西地区の4番ストリートとLストリートの交差点付近に位置する[46]。

チェサピーク・オハイオ運河。ジョージタウン近くを通る。
アメリカ合衆国国立公園局は、ロック・クリーク公園、チェサピーク・オハイオ運河自然歴史公園、ナショナル・モール、セオドア・ルーズベルト島、アナコスティア公園など、ワシントンD.C.の自然生育地のほとんどを管理する[47]。国立公園局による管理外の重要な自然生育地としては、農務省の管轄である国立森林公園があるのみである[48]。ポトマック川の上流(ワシントンD.C.の北西)にはグレイト・フォールズ (Great Falls) がある。19世紀には、輸送船の交通がこの滝を迂回できるようにするため、ジョージタウンに端を発するチェサピーク・オハイオ運河が用いられた[49]。

1965年、リンドン・ジョンソン大統領はポトマック川を「国の恥」と呼び、1966年の清流回復法 (the Clean Water Restoration Act) の必要性を訴える材料とした[50]。現在では、この川は活気のある暖水漁業の場となっており、自然に繁殖したハクトウワシも川岸に戻った[51]。高度に都市化した景観にもかかわらず、ワシントンD.C.は、都市における野生生物の管理、外来種の管理、都市流水の回復、都市流水における水エコロジーなどの研究の中心地となっている[52]。国立公園局の都市エコロジーセンターは、この地域における専門的知見と応用科学を提供する場となっている[53]。

気候[編集]

ワシントンD.C.の気候は、ケッペンの気候区分によれば温暖湿潤気候 (Cfa) であり、これはアメリカの中部大西洋岸諸州のうち海域から離れた地域に典型的に見られる気候である。四季がはっきり分かれており、春と秋は温暖で湿度も低いのに対し、冬は低温が続き、1年に平均 420mm も降雪量がある[54]。冬の最低気温は、12月中旬から2月中旬にかけては零下 1°C (30°F) くらいになることが多い。まれではあるが、猛烈な吹雪が2、3年ごとにワシントンD.C.を襲い、最低気温は15°C を下回る。最も激しい嵐は、ノーイースターと呼ばれ、これはアメリカ東海岸全体に影響を及ぼすのが普通である[54]。夏は高温多湿になる傾向があり、7月と8月の日中最高気温は平均 30°C 前後(80°F台)である[55]。夏には高温・多湿という組み合わせのため、激しい雷雨が非常に頻繁に発生し、場合によってはこの地域に竜巻を発生させることもある。

ハリケーン(熱帯低気圧)ないしそれが温帯低気圧化したものが、夏の終わりから初秋にかけてこの地域を通過することが時々ある。ワシントンD.C.は内陸に位置していることもあって、ハリケーンはここに来る頃には勢力が弱まっていることが多い。しかし、満潮・高潮・雨水が合わさることによって引き起こされるポトマック川の氾濫は、ジョージタウンやバージニア州アレクサンドリア近くにまで大規模な財産的被害をもたらすことが知られている[56]。
記録されている史上最高気温は1930年7月20日と1918年8月6日の 41°C (106°F) である。史上最低気温は1899年2月11日の零下 26.1°C (?15°F) であり、これは1899年の記録的猛ふぶき (the Great Blizzard) の時のものである。32°C (90°F) を超える日数は平均36.7日であり、氷点下になる夜は平均64.4日である[54][55]。





ワシントンD.C.は4つの地区に分かれる。?ワシントンD.C.は計画都市である。ワシントン市の設計は、ピエール・シャルル・ランファンの労によるところが大きい。ランファンはフランス生まれの建築家・技師・都市設計家であり、当初、軍の技師としてラファイエットと共にアメリカ植民地に来た。1791年、ランファンはバロック様式を基に基本計画を作成した。これは、環状交差路から放射状に広い街路が伸びているものであり、開かれた空間と景観作りを最大限に重視したものであった[† 5]。しかし、20世紀初頭には、開放された公園と壮麗な国の記念建造物というランファンの都市計画の構想は、スラム街や乱開発された建物によって損なわれてしまっていた。その中にはナショナル・モールの中の鉄道の駅もあった[24]。1900年、連邦議会は、ジェームズ・マクミラン上院議員率いる両院合同協議会を設置し、ワシントンD.C.の儀礼の中心地の美化に当たらせた。マクミラン計画として知られるこの計画は1901年に仕上がり、その中には連邦議会議事堂の敷地やナショナル・モールの景観再整備、新しい連邦の建物・記念館の建設、スラム街の一掃、全市を横断する新しい公園のシステムの構築が含まれていた。委員会から任命された建築家たちは市の本来の設計には手を加えなかった。建築家たちのなすべきことは、ランファンの意図したデザインの壮大な仕上げをすることであると考えられた[24]。
夜のリンカーン記念館、ワシントン記念塔、連邦議会議事堂
1899年に12階建てのカイロ・アパートメント・ビルが建設された後、連邦議会は建造物の高さを制限する法律 (the Heights of Buildings Act) を可決し、連邦議会議事堂より高い建物を建ててはならないと宣言した。この法律は1910年に改正され、建物の高さが、面する道路の幅員に20フィート (6.1m) を加えた長さを超えないよう規制された[59]。今日、ワシントンD.C.の建物群のシルエットは低く広がっており、トーマス・ジェファーソンの、ワシントンD.C.を「低層で便利な」建物と「明るく風通しのよい」街路を備えた「アメリカのパリ」にしたいという願いに忠実である[59]。その結果、ワシントン記念塔がずっとワシントンD.C.で最も高い建造物のままである[60]。しかしながら、ワシントンD.C.の高さ制限は、同市で廉価な住宅が限られていることやスプロール現象による交通問題の発生の最大の原因であるとして、批判されている[59]。ワシントンD.C.の高さ制限を逃れるため、ダウンタウンの近くとしては、ポトマック川の対岸にあるバージニア州ロズリンに高層の建物が建てられることが多い[61]。

ワシントンD.C.は四つの地区 (quadrant) に不均等に割られている。北西地区 (Northwest)、北東地区 (Northeast)、南東地区 (Southeast)、南西地区 (Southwest) である。各地区の境界を画す軸は連邦議会議事堂から放射状に伸びている[62]。すべての通りの名称には、地区名の省略形(NWなど)が付いており、その場所を明らかにしている。市内のほとんどの地域で、街路は碁盤目状に整備されており、東西方向の通りにはアルファベットで(例えばC Street SW)、南北方向の通りには数字で(例えば4th Street NW)名前が付けられている[62]。環状交差路から放射状に伸びる街路には、主に各州の名前が付けられており、50州すべてが名称の中に含まれている。ワシントンD.C.の街路の中には、特に注目すべきものがある。ペンシルベニア通り (Pennsylvania Avenue) は、ホワイトハウスと連邦議会議事堂を繋いでおり、Kストリートには多くのロビー団体の事務所が入居している[63]。ワシントンD.C.には172か国の外国の大使館[64]があるが、そのうち57の大使館はマサチューセッツ通り (Massachusetts Avenue) の地区にあり、正式名称ではないが大使館通り (Embassy Row) として知られている[65]。
2007年、ホワイトハウスはアメリカ建築家協会 (AIA) が選ぶ「アメリカ建築傑作選」で2位にランクされた。ワシントンD.C.の建築物はバラエティに富んでいる。アメリカ建築家協会が選ぶ2007年の「アメリカ建築傑作選」では、10位までにランクされた建物のうち6つがワシントンD.C.にある[66]。すなわち、ホワイトハウス、ワシントン大聖堂、トマス・ジェファーソン記念館、連邦議会議事堂、リンカーン記念館、ベトナム戦争戦没者慰霊碑である。これら6つの建築はすべて新古典主義、ジョージ王朝様式、ゴシック様式および近代建築のスタイルを反映しており、他のワシントンD.C.の主要な建物も同様である。特筆すべき例外としては、第二帝政様式によるアイゼンハワー行政府ビル(旧行政府ビル)やアメリカ議会図書館などがある[67]。

ワシントンD.C.の中心市街を離れると、建築様式はさらに多様化する。「オールド・シティー」(ランファンによって設計された地域)では、歴史的建造物は主にアン女王様式、シャトーエスク様式、リチャードソン・ロマネスク様式、新ジョージア王朝様式、ボザール様式、また様々なビクトリア朝様式で設計されている。オールド・シティーでは19世紀からのロウハウス(長屋)が特に目立っており、連邦様式や後期ビクトリア朝様式に従うものが多い[68]。ジョージタウンは、ワシントン市よりも先に建設されたため、この地域はワシントンD.C.の中でも最も古い建築物を誇る。ジョージタウンのオールド・ストーン・ハウスは1765年に建てられ、市内で最古の遺構となっている[69]。もっとも、この地域における現在の住宅のほとんどは1870年代になって初めて建てられたもので、当時の後期ビクトリア朝様式を反映している。1789年に創立されたジョージタウン大学は、周囲の建物とはさらに一線を画しており、ロマネスク様式とゴシック・リヴァイヴァル建築が融合した建築が特徴である[67]。

2010年の国勢調査によれば、ワシントンD.C.の居住者人口は601,723人で、2000年国勢調査の572,059人以来、増加傾向が続いている。これは50年来の減少傾向からの反転である[2]。他方、労働時間帯には、近郊からの通勤により、ワシントンD.C.の人口は推計で71.8%膨らみ、日中人口は100万人を超えるとされている[70]。周辺のメリーランド州やバージニア州の一部を含むワシントン首都圏は、2010年の国勢調査で約558万人の居住者を抱える[2]。ボルチモア及びその近郊も併せたワシントン・ボルチモア・北バージニア広域都市圏は、2010年の国勢調査では850万人を超える居住者人口を抱えている[2]。

以下にワシントンD.C.における1800年から2010年までの人口推移を表で、また1850年以降の人口推移をグラフで示す[71]。
     
 
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