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幼稚園のときは最初は荒尾という所にいました。夜はベランダからライトアップされた観覧車が見えたのが良かったです。年中は星組で、年長は光組でした。幼稚園の中の廊下にメルカトル図法の世界地図が貼ってありましたが、そこに載ってるグリーンランドは荒尾にあった遊園地のグリーンランドのことだと思っていました。幼稚園の外の隅に炭みたいなのが置いてあったのでそれを触ってたら黒く汚れて母さんにどうしたのか聞かれて習字があったって言ったら信じられてデパートかショッピングセンターで習字用の汚れが付いてもいいための服を探してたので嘘ついたのが申し訳なかったです。年長の同時多発テロがあった年の12月に宇土っていう所に引っ越して来ました。それで幼稚園を移りましたがそこの幼稚園は建物が新しくて綺麗でした。昼ご飯は弁当じゃなくて給食でした。転校したときに自分は折り紙の手裏剣の作り方知ってたけどそこの友達は知らっさんだったから意外でした。遠足では轟水源に行く予定になっていましたが雨で中止になって、体育館の中で遠足のダイジェスト版的なのがありました。小学校に入学したら1年3組1番でしたが入学して間もない頃はなぜか自分の靴を自分の靴箱じゃなくて同じクラスの男子で名簿順が最後の人の靴の隣に置いていました。そしたら同じクラスの女子が「君の靴箱そこじゃなくてここでしょ」って言ってたからそれで初めて気づいてびっくりしました。登校していたときは自分だけ歩くスピードが同じ登校班の他の人より遅かったので班長さんを困らせてしまって本当に申し訳なかったなあと思いました。2年では夏は暑いので一回髪型を坊主にしてもらったときがありましたがそしたら家族に笑われたので学校に行くのが怖くなりました。登校するときは帽子をかぶってましたがばれちゃいました。学校行ったらびっくりされました。スイミングスクールでは友達が僕の頭を見て笑ってました。あと、今から14年くらい前のその頃にその小学校にいた人達や先生達は覚えてると思いますが、一回昼休みに学校のプールの近くに停めてあった、隣のクラスの2組の担任の先生のサポートとかをされていた先生の車のフロントガラスが割れたことがありました。そして臨時の全校集会があって児童全員が教頭先生からえらい怒られましたね。3年に上がる直前の2年の最後は3年になったらクラスが別々になるのでクラスのみんなで一斉にえーんって泣いてました。

小学2年迄は自分は結構出しゃばってて他の人に比べておとなしいということはなかったと思いますが3年から急にあんまり喋らなくなりました。何か理由があってわざと喋らないようにしたんじゃなくて何となく自然にそうなりました。何が切っ掛けでそうなっちゃったのか自分でも分からないです。原因は全く分かりません。この頃から自分はMになっていじめられる側になってあんまり自分に自信がないようになりました。本当にいじめられたのかはよく分からないけど3年になってからなんかいじめられる的なキャラに変わりました。また、丁度この頃は全国各地で市町村合併が行われました。当時の僕と同じ世代の他の人はそんなのどうでも良かったかも知れませんが僕は地名とかに興味があったので僕にとっては大イベントでした。熊本県でも周りの市町村が次々に合併しました。なんか次々にって聞くと中学3年の合唱コンクールで7組さんが歌ってた親知らず子知らずを思い出しますね。自分は合併が行われる前から県内の地図を見ていたので、それで「真ん中に一つの市があって、その周囲に幾つかの町や村がある」という認識を持っていました。市町村が集まってグループになっていて、その中央にある一つの市が周りの町や村を統制していてそのグループのリーダーの役目を果たしているみたいなイメージを抱いていました。しかし市町村合併によってそのグループの真ん中の市と周りの町や村が全部合体して一つの市になってしまい、町や村はなくなってしまったので、自分が今迄持っていた認識やイメージとは違う風に変わってしまったので、実際に周りの市町村が合併したときは僕にとっては違和感がありました。ぎこちなかったです。合併する前の状態の地図を見て「真ん中に一つの市があって、その周囲に幾つかの町や村がある」ものなんだっていう認識が定着していましたが今回の合併でそれが覆されたのでなんかすっきりしませんでした。また、自分が住んでいる宇土市は隣の富合町と合併する案が出て、合併したら宇土市は人口が約45000人になるということで張り切ってましたが白紙になってしまいました。悲しかったです。また熊本県の地図を見たら西合志町と合志町と菊陽町と大津町が合併して東熊本市っていう案が載ってました。この4つの町はどの町も人口が多く、4つの町の人口を足すと10万人を超えます。町だけの合併で人口10万人の市ができるのはなかなか凄いことだと思ったのでこれも僕は楽しみにしていましたが、残念ながら実現しませんでした。僕だけにとっては合併して欲しかったです。因みに茨城県ではたった2つの町の合併で人口8万人の市になった所がありました。神栖市です。凄いと思いました。確か小学4年のときに掃除の時間に剥げているおじさんが給食の仕事をされていたので、同じクレスの誰かが「剥げてまーす」って言って、僕もそれに続けて「君剥げてるよ」ってノリで言ったことがありました。そのおじさんはそのことには気づかれてませんでしたが、同じクラスのその人と2人でそのおじさんに「剥げって言ってすいませんでした」って謝りに行きました。おじさんは怒らなかったので有難かったと思いました。そのときは何となくノリで剥げてるって言ってしまいましたが、今それを思い出したら本当に申し訳なかったと思いました。

小学校の中高学年では地図を見たりもしていましたがポケモンもやってました。「ポケットモンスター サファイア」をやっていました。ジュカインとカイオーガとキングドラとレジロックはレベル100迄育てました。100レベのカイオーガに神秘の雫を持たせて通信対戦に出したら友達の100レベの体力満タンのミュウツーにハイドロポンプを使ったら一回で倒せたので嬉しかったです。そのときは本気で勝負したんじゃなくて友達から通信対戦するように言われて対戦しました。ガチで勝てる自信はなかったので最初から負ける積もりで対戦したので、本当はポケモンは6体迄出せるけどカイオーガ1体だけしか出しませんでした。友達は2体以上持ってたので対戦では負けました。その友達にはユンゲラーの超能力を使って道具をコピーする裏技を教えてもらいました。炎の抜け道でユンゲラーに「アゲハント」と書かれたオレンジメールを持たせて野生のドンメルのチーゴの実とトリックで入れ換えるという操作を5回繰り返し、そのあとユンゲラーに増やしたいアイテムを持たせた状態でユンゲラーにオレンジメールを持たせようとすると1体のポケモンに2つ以上のアイテムを同時に所持させることはできないのでオレンジメールを持たせる代わりに元々持っていたアイテムがユンゲラーからプレイヤーに預かられるけど、そのあともユンゲラーはそのアイテムを持ったままになっているっていう裏技です。自分のカセットでもそれをやったら本当に道具が増えたのでびっくりしました。あと、これは高校のときの話ですが、この裏技を実行した後にゲームの中でヒワマキシティの人と、自分のピカチュウと相手のエネコを通信交換したところ、なぜかそのエネコが自分が最初にユンゲラーに持たせた「アゲハント」って書かれたオレンジメールを持っていました。そのメールをエネコから預からないとパソコンには預けられず、メールを預かったりエネコを育て屋さんに預けたりすると裏技が無効になるため、エネコをずっと手持ちに入れておかないといけないようになりました。エネコをエネコロロに進化させたりユンゲラーをフーディンに進化させて自分のカセットに戻しても裏技は引き続き使えました。今もエネコロロは手持ちに入ったままです。一回5年の社会の授業中に「~じょう」という難しい言葉が出て来たときにクラスの誰かが「立つんだジョウ」って言ったら担任の先生がぶち切れたときがありました。その先生はこの遺書の前の方で書いた大学の線形代数学の先生にもぶち切れて欲しいと思いました。小学校のときのその先生は自分は平成元年生まれなんだけどなーって言われてました。小学6年の11、12月頃は僕は同じクラスの女子達の間で評判が悪かったです。自分達をいつもじろじろ見ているという理由で嫌われていたんですが自分はそんな積もりは全くなかったのでなんでそんなことが言われてるのか意味が分かりませんでした。他の人をじろじろ見ていた記憶本当に全くないです。ほんとです。だからその人達から見た自分の感想で「存在感がない」「うざい」「出っ歯」っていうのは理解できるけど顔をじろじろ見てくるっていうのが意味が分かりませんでした。そんな覚えがないです。それでその頃は同じクラスに好きな人がいたんですが、その人とは別の人からこの人は私のことが好きなんだと勘違いされてしまいました。周りの人達にもそのように思われました。その人達によると僕はいつもその人を見ていたらしいからです。でもそんな記憶ないのでその人達は何を言ってるのか意味不明でした。第一その人のことは好きじゃなかったので日頃その人のことは頭になかったです。同じクラスに好きな人がいたのは本当ですが、僕は好きだったのはその人じゃないです。一回理科の時間にあまり深い意味はなく理科室の後方を眺めていたらたまたまその方向にその人が座っていたため私を見たんだと思われたときがありました。その頃は自分は授業中などにあまり深い意味はなく何となくよその方を向く変な癖がありました。なんで一々そんなことをするのかと思うかも知れませんが本当に何となくそうしていたのでなんでそうするのかという考えは頭をよぎりませんでした。何か意味があるんじゃなくてただ何となくです。だから理科室でもその人を見ようとして後方を見たんじゃなくて何となくあまり意識せずに後方を向いただけです。そしたらその人がいたのであのときはかなり運が悪かったと思いました。しかもそんな状況でその人と隣の席になってしまいました。その人の友達がそれを見て大笑いしてました。その人は僕は自分のことが好きなんだと思っていたのでえらい嫌がっていました。でも僕はその人は別に好きじゃないので隣になっても嬉しくなんかないです。ただ嫌われただけでした。なんでこうなっちゃったのか自分でもよく分からないけど、自分ではその人を見ている積もりはなかったとは言えその人には自分のことが好きだと思わせてしまって苦しめてしまってかなり申し訳なかったです。それにしてもなんで好きな人とは別の人から好きだと思われてしまったのか不思議でした。このまま生き続けたらまたいつかこんなことがあるかも知れないからもう他の人にきつい思いはさせたくないのでその前に自殺しておきたいと思いました。こういうのは自殺しないと完全に防止するのは難しいです。この出来事を思い出すと現実では本当に何があるか分からんと思いました。だから僕がこのまま生き続けたら本当にどんな悪いことが起こるか分かりません。いいことが起きるのを待つより悪いことが起きないようにする方が大事です。その人のことは今も別に好きじゃないです。そのとき僕が本当に好きだった人も今は好きじゃないです。3学期にその人とまた隣になりました。最悪だと思いました。また前回のように嫌な反応されると思いました。僕とまた隣とかほんと嫌だろうなーと思いました。最高に気まずかったです。心の中でだらだら汗が出てました。でもなぜか嫌な反応されませんでした。かなりびっくりしました。また、自分は他の人をじろじろ見てる積もりはなかったけど女子達にはじろじろ見ているって言われたのでなんかよく分かんないけど取り敢えずこれからはそう言われないように気を付けてみることにしました。言われたっていうのは直接僕に言われたわけじゃないけど女友達同士で僕に関して喋っていたのを聞きました。3月頃は僕はその人達とは別のグループの女子の人達からかなりバカにされていました。それがいじめなのかどうかはよく分かりませんが軽いいじめみたいな風にされていました。下着泥棒って言われたりはしかじゃなかったの?って言われたり体操服に着替えるときにブリーフって言われたりしました。しかしそのことは僕が自殺したこととは関係ありません。正直、バカにされていたのは少しは嫌でしたがかなり嫌ではなかったです。見た目的にはかなり落ち込んでいるように見えたかも知れませんがそれは違います。顔は悲しそうだったかも知れませんが内心はそうでもありませんでしたよ。本当です。そのことが本当に嫌だったら普通先生とかに相談したりとかしますからね。でも相談してません。相談しようと思わなかったということはそんなに深刻に困っているわけではなかったということですよね。今もそのときのこと大体覚えていますが、思い出してもそんなに悲しくなりません。そこ迄深刻に苦しんだ記憶がないです。多分、落ち込んでいるように見えたのはただそう見えただけです。気分は普通なのに元気なさそうって言われたことは他にもあります。誰かが面白いことやっても笑わなかったのはブルーだったからじゃなくて僕がそういうのに鈍感だったからです。僕が悲しそうだったのはただそう見えただけということを元6年2組の人に伝えたいです。大学の線形代数学の先生には恨みがありますが、僕はその人達には恨みはありません。だから僕が自殺したことにその人達に対する仕返しの意味はありません。その先生よりその人達の方が悪いと思う人もいるかも知れませんが僕はその人達にバカにされたことによってはそこ迄苦しんでないし、その人達に仕返しをしたいとは思わないので仕返しなんかしなくていいんです。そのとき同じクラスだった他の人にとっては苦しんでるように見えたかも知れませんがそんなことはないです。それでもその先生に仕返しをするのはその人達よりその先生の方が悪いと思うからというよりその人達よりその先生の方がむかつくからです。僕はその人達からよりその先生からの方が深刻に苦しめられたからです。その先生は僕が仕返しするかしないかを自分の感情で決めたことに文句言わないで欲しいです。だってそっちだって僕が身勝手かどうかを自分の感情で決めたんですから。僕は最初にその先生が僕にやったことと同じようなことをその先生にやったんです。それが仕返しってやつですよ。

今から9年前の年に中学校に入りましたが、この年は口臭で悩んだ年でした。入学した頃から次第に他の人から臭がられるようになりました。臭がられたら嫌われないわけがありません。つらかったです。マスクをはめればいいじゃんと思うかも知れませんがそれでは解決しません。一回ビートたけしさんの家庭の医学で、口臭の症状があったからマスクを付けたら逆に増々エスカレートしてしまったっていうのがあってたので自分もマスクを付けたら増々ひどくなると思ったのでマスクは付けませんでした。小学校のときは席替えをしたら自分と隣になった人が嫌がらすので席替えというイベントがかなり憂鬱でした。中学1年のときも口臭だったので席替えが怖かったです。このとき1年6組でしたが、同じクラスに好きな人がいましたが、席替えがあったときにその人と隣になってしまいました。当然、その人は隣で座ってるときに臭がってました。申し訳なかったです。匂いがばれないようにする方法はないです。そして、息が臭い以外の理由もあったのかも知れませんが、その人には嫌われてしまいました。1学期の終業式後、終業式のときに見た吹奏楽部の大きなバイオリンが気に掛かって頭から離れませんでした。それ以来バイオリンや楽譜など音楽関連の物が他の物とは異質に嫌いになり、特別に気にするようになりました。嫌いな物っていうのは誰にでもあると思うし、嫌いな物っていうのは勿論自分にもありましたが、新しく嫌いになった音楽関連の物は今迄嫌いだった他の嫌いな物とは嫌いの次元が違いました。目の前にそれがないときでも何をしているときでもそれのことが気になり、それを思い浮かべただけで気分が落ち込んでいたので、悩みの種でした。また、これは物ではありませんが、紫色も嫌いになりました。好きなことをしているときや好きなことを考えているときに音楽関連の物や紫色のことを思い出すと、その好きなことがけがされてしまうような感じがしました。ポッキーの日には集団宿泊教室がありました。その翌日の朝の朝の集いのときは集合時間に大遅刻しました。しかも不要な帽子を持って来ました。そのとき同じ学年だった人は、それ記憶ありますか?笑 僕は口臭だったので、集団宿泊が終わった後ぐらいの時期から、同じ学年の女子バレー部の人達がマスクを付けとらすようになりました。本当ですよ。疑わしいなら僕と同じ中学校で同じ学年に在籍していた人で女バレだった人に聞いてみると良いです。2年の新型インフルエンザの時期は違うかも知れませんが、1年のときにマスクしていた理由は間違いなく僕が臭かったからでしょう。その頃はマスクを継続的に付けている人が15人くらいいましたがその人がみんな女バレってことには気づいてなかったのでその15人くらいの人は2人か3人ずつそれぞれ別々のグループと思っていました。いつもマスクをしている人と仲良さそうな人で、その人といつも一緒に歩いてる人でもマスク付けてない人は付けてないのが不思議に思いました。僕のことを知らなさそうな人がマスクしていたり、マスクしてる人と友達で如何にも僕が臭いってことを知ってそうな人でもマスク付けとらっさんだったりしました。自分のクラスにだけはいつもマスクをしている人がいませんでした。同じクラスの人は僕の臭いに慣れたのかなあと思いました。1年の3学期の時期はなんか臭がられることが少なくなってきていましたが自分の口臭がなくなったかどうかはよく分かりませんでした。ある日の朝登校したら、15人のうちの2、3人の人がなぜかいつもマスクしていたのに今日は付けていませんでした。残りの12、3人の人はその人とは関係ないと思いましたが、なんと15人のうちのさっきマスクを付けてなかった人以外の他の人もマスクを付けてませんでした。びっくりしました。15人くらいの人がみんな一斉に同時にマスクを付けなくなったので、その15人くらいの人はそれぞれ別々じゃなくてみんな関連性があったことが分かりました。マスクを止めてくれたのは嬉しかったですが、なんでいきなりマスクするの止めたんでしょうかね。その理由は僕が臭くなくなってきたからではないと思ったので、自分の口臭がなくなってきていたことには気づきませんでした。今振り返ったらその頃の自分は口臭という難しい問題を抱えていながらよく自殺しないで不登校にもならないで毎日学校来て他の人に臭がられるのを我慢してたなと思いました。夏休みと2学期は自分は音楽関連の物や紫色が特別に嫌いでしたが、バラク・オバマさんが初めて大統領に就任された頃の時期に、また嫌いな物ができました。突然それ迄は全く嫌いじゃなかったチョコレートに強い嫌悪感を持つようになりました。自分の好きな物にチョコシロップを掛けるのが頭に浮かび、自分の好きな物が台無しになるみたいな感じがして遣り切れなかったです。特別に嫌いになる前はチョコレートは嫌いな食べ物でさえなく、何気なく食べてました。っていうのは数年前の話ではなく、つい数ヶ月前の話です。それがいきなり見るのも嫌な程嫌いになりました。なんでそうなったのか本当に全く分かりません。それの切っ掛けになるような出来事は何も起きていません。何の切っ掛けもなく急に勝手にチョコレートのことが嫌だと感じるように変わったんです。前は普通に食べてたのが自分で信じられませんでした。1年の3学期の学年末テストは点数は悪かったと思ってたら学年で1位だったのでかなりびっくりしました。本当に悪かったと思ってたので本当に信じられませんでした。本当に嬉しかったです。なんであの点数で1位だったのか今でもよく分かりません。

そして学年が上がって、まずは噛むブレスケアを噛むことから始めようと思っていた頃、良かったことがありました。廊下に新しいクラスの名簿が貼り出されたときにみんながそれを見るときに廊下はかなり混雑しててぎゅうぎゅう詰めでした。自分はまだ口臭があると思っていたので僕は人込みの中に入り込めませんでしたが、辺りは人が多かったので自分のかなりすぐ近くを何回か人が通りました。僕はその瞬間あーやばい臭がられるう!と思いましたが一回も自分の近くを通った人達は臭い反応をしなかったのです。そのときはかなり混雑していたので人が自分のすぐ近くを通ることが普段より沢山ありましたが、1年のときの1学期と2学期に廊下を歩いていたら臭がられたときのように反応されることが一回もありませんでした。嬉しかったです。2年の最初には身体測定と体力テストがあり、体重35kg、ソフトボール投げは8mと9mでした。ソフトボール投げではしょぼ過ぎて沈黙しました。部活動紹介の女子バレー部のときになんか前マスクを付けていた人が多いと思ったら前マスクを付けていた15人くらいの人はみんな女子バレー部でした。マスクしていた人の友達で付けてなかった人は女バレじゃない人でした。マスクを付けていなかった訳が分かりました。自分のクラスにマスクをしている人がいなかったのは、自分のクラスには女バレの人がいなかったからでした。因みに2年に上がっての新しいクラスでの自分のクラスにも女バレの人は一人もいませんでした。クラスが貼り出されたとき以来も他の人から臭い反応をされることはなくなりました。自分の口臭がなくなって本当に良かったです。口臭がなくなってなかったら自分はもっと早く自殺していたかも知れません。1年の3月頃にチョコレートがなぜかいきなり嫌いになりましたが、2年になったらそれが増々深刻になりました。チョコレートが嫌い過ぎて食べるのは勿論その茶色い物体を触るのも見るのも「チョコレート」って書いてある字を見るのも触るのも誰かが「チョコレート」って言った声を聞くのも嫌だと思うようになりました。チョコレートの写真やチョコレートという字を見たり誰かがチョコレートって言ったのを聞いたりしただけでブルーになっていました。チョコレートという言葉が書いてある場所や他の人がチョコレートを触った後の手で他の場所を触った場所を自分が触ってしまったときは、なんか自分の手が汚れたような気がして手を洗わないと気が済みませんでした。家庭科の教科書の表紙にはチョコレートが載っていたので、気にしていました。チョコレートを食べたり自分の口で「チョコレート」って言ったりするのは絶対無理でした。鉛筆で紙に「チョコレート」って書くのもできませんでした。僕にとってはチョコレートは憎いというより怖いに近かったです。字を見ただけで怖い感じがしていました。チョコレートがあんなに怖かった理由はどう表現すればいいのか分かりません。チョコレートのことは学校の先生や同じクラスの友達とかには全く話しませんでした。修学旅行直前の2学期期末テストの英語では I will give you chocolate. っていう英文が出題されてしまいました。本当は簡単に分かる問題だったんですが、自分の手でchocolateって書くのが嫌だったので解答欄には「I will give you .」って書いて出しました。これを書くときにチョコレートという単語を入力できたのは、今ではチョコレートがあんまり嫌いではなくなったからです。今はチョコレート食べるの好きです。最近はアーモンドチョコとかをよく食べてます。おいしいです。修学旅行で京都の嵐山?に行ったときはロケみたいなのがあってて、ウド鈴木さんと森三中の村上さんがいました。土産の八橋はチョコが入ってないのを買いました。最後にはUSjに行って、自分の班はUSj開園後並ばなくて良いように走って行って、スパイダーマンのアトラクションに乗りましたが、かなり楽しかったです。修学旅行終了後英語の期末テストの解説の時間にあの例の I will give you chocolate. っていう文が自分に当たったらやばいからこの問題だけは自分には当たらないように、当たるなら他の問題で当たるように、と思っていたんですが、本当に当たってしまいました。やばいと思いました。僕の名前を呼ばれて起立しました。みんなの前でこの文を読まないといけませんでした。「I will give you‥‥」って言って、そのあとは黙り込んでました。みんな意味不明だったでしょうね。なんでかと言うとチョコレートが嫌いだったからチョコレートって言うのが怖かったんです。

3年のクラス替えでは9組になりました。この学校では校舎の3階に3年1組から3年8組迄が一直線に並んでおり、3年9組だけがそれとは別の棟の2階にありました。隣の教室は2年8組でした。9組にも女バレの人が一人もいませんでした。中学校では3年連続女バレの人が一人もいないクラスでした。中学2年のときはずっとチョコレートが嫌いでしたが、3年に上がって少し経った頃からまたある物が気になり始めました。それは醤油です。醤油のことを少し嫌だと思うようになりました。同じクラスの友達に好きな人を聞かれたことがありました。直ぐには言いませんでしたがしつこく聞かれて他の人には絶対言わないって言われたので言いました。1年のときに同じクラスに好きな人がいました。今もまだ好きだったので、その人を言いました。でも裏切られました。直ぐに近くの友達に言われて、知ってる人が2人になりました。その2人から好きな人の名前を暗号みたいにして黒板とかにどでかく落書きされたりその暗号を他の人に伝えられたりしました。女子がいるときにその人に聞こえる声で本当の名前を喋られたりもしました。その女の子には多分ばれました。女バレは関係ありません。パソコン室では好きな人の名前を書いたのを一斉送信したって言ってました。「い、一斉送信!?」ってなりました。もうこういうのは止めてくれと言いましたが聞いてくれませんでした。もうどうしようもなくなって泣きました。先生が家庭訪問のときに何かあったら、って言われてたのでもうやばいので先生に相談しました。で先生がその2人の人を呼び出してくださって、そのあとは劇的に何もされなくなりました。その先生のパワーは本当に凄いと思いました。先生に感謝しました。これを読むとその2人の人は先生に言われて渋々止めたのを想像するかも知れませんがそうではなく謝って快く普通に止めてもらえました。その2人の人はちくしょうちくりやがったってみたいに言いそうと思うかも知れませんがそんな感じじゃなかったです。ちょっとこの話を聞いた人には実際とは違う風に想像されそうと思ったので補足しました。小学校を卒業する直前に僕をバカにしていた人達とは異なり僕はその2人の人には前から嫌われていたわけではありません。嫌いみたいな態度を取られたことはありません。最初は普通でした。色々あった頃も僕が嫌いだからやってるというよりただ楽しんでやってるみたいでした。あのあとも嫌われることはなく普通に戻ったので今もその2人の人とは仲は全く悪くありません。謝ってもらえたので僕は怒っていなくて、そしてのも僕が先生に言ったことを怒ってなかったので良かったです。先生がその2人に謝るように言ったそうなので先生が有難かったです。僕はその先生に助けられました。醤油が新しく嫌いになったと書きましたが、最初のうちは醤油よりチョコレートの方がまだ嫌いでしたが、暫く経ったらそれが変わってきました。時間が経つに連れて醤油を嫌だと思う気持ちが強まってき、チョコレートを嫌だと思う気持ちは薄まっていって、ついにはチョコレートより醤油の方が嫌いだと思うようになりました。そしてチョコレートが嫌いだったときのように醤油を何かにかけて食べるのは勿論瓶を見たり触ったり、醤油の匂いを嗅いだり字を見たり醤油って書いてある場所を指で触ったり口で言ったりするのも嫌だと思うようになりました。チョコレートもそういうのは嫌でしたがチョコレートに関しては前より少し嫌じゃなくなりました。つまり、自分が嫌いなメインの物がチョコレートから醤油に変わりました。チョコレートが嫌いだった頃は醤油のことはこれっぽっちも気にしていませんでした。それがかなり嫌だと思うようになりました。これも切っ掛けとなるような出来事は何もあっていません。醤油が嫌いになった後はチョコレートが嫌いだった頃に醤油のことを何とも思ってなかったのが不思議でたまりませんでした。醤油が嫌いなのは今もまだ完全には治ってないので、今もそのことは本当に不思議です。「なんで今迄嫌いじゃなかったんだろう?」ってかなり思いました。自分は醤油がかなり嫌だったので、他の人が醤油のことを何とも思わないのも不思議でした。醤油を全然嫌だと思わないみんなのことが全く理解できませんでした。また、自分の嫌いなメインの物は1年から2年に上がる頃に音楽関連の物や紫色からチョコレートに変わり、2年から3年に上がった頃にチョコレートから醤油に変わったので、次は3年から高校1年に上がる頃に醤油からまた別の物に変わるかも知れないと思いました。「次は何が嫌いになるんだろう?」と思いました。その答えは後に分かることになります。実際には4年後に別の物に変わることになりますが、その嫌いな物は醤油が嫌いだった頃には全く予想していなかった物でした。その4年間は将来醤油より尿の方が嫌いになるなんて全く思っていませんでした。尿を嫌だと思うことは全くなく、尿のことを気にすることは全くありませんでした。中3ぐらいのときにら抜き言葉について考えたことがありましたが、ら抜き言葉は全然おかしくないと思いました。ていうから抜き言葉はら抜き言葉じゃないと思いました。「行ける」という可能動詞は「仮定形+る」と見ることができます。他の可能動詞もみんな仮定形に「る」を付けたもの、「~ば」という言い方の「ば」を「る」に置き換えたものになっているからです。話すという動詞は「話せば」の「ば」を「る」に置き換えると「話せる」という可能動詞ができます。「出る」という動詞についてもそれと全く同じことをやってみると、「出れば」の「ば」を「る」に置き換えると「出れる」になります。だから「話せる」と「出れる」は全く同じプロセスで作られた動詞と考えることができます。だから「話せる」がおかしくないなら「出れる」もおかしくないと思いました。「出れる」という表現がおかしいんだったら「話せる」もおかしいはずだと思いました。「出れる」は「出られる」の「ら」を略したものではなく「出る」の仮定形「出れ」に「る」を接続したものと捉えるべきじゃないかと思いました。「出れる」は「出られる」の「ら」を省いたものであるという明確な根拠って何かあるんですか?あと、可能動詞の作り方はもう一つありました。「行く」という動詞の可能動詞を作ってみます。まず「行く」に受身・尊敬・自発・可能の助動詞をくっ付けます。「行く」は五段活用だから「れる」を付けると「行かれる」になりますよね。これをローマ字で書くとikareruになります。この文字列から「れ」のrとその直前のaを外すとikeruになるので「行ける」という可能動詞の出来上がりです。「飛ぶ」で同じようにやってみるとtobareruから「れ」のrとaを取るとtoberuになるので「飛べる」になりますよね。これと同じやり方で「出る」の可能動詞を作ります。「出る」は下二段活用だから助動詞は「られる」を用います。「られる」は未然形接続で「出る」の未然形は「出」なので付けると「出られる」になるのでローマ字で書くとderareruです。「れ」のrとaを取るとdereruになるので「出れる」という可能動詞ができました。「出れる」も「行ける」や「飛べる」と全く同じやり方で作れました。だから「出れる」も「行ける」や「飛べる」のような可能動詞と考えて差し支えないと思いました。なんで「行ける」「飛べる」は受け入れられるのに「出れる」は受け入れられないのか疑問に思いました。「行ける」「出れる」はどちらも「行かれる」「出られる」がなまって縮まったものと考えられると思います。「行ける」と「出れる」の「る」の前のひらがなはどちらも「行かれる」と「出られる」の「れ」の前のひらがなの次の次の次のひらがなになっています。次っていうのは五十音順で次っていう意味です。一般的にら抜き言葉として嫌われているのは元の動詞が下二段活用や上二段活用の場合です。「着る」は上二段活用だけど「切る」は五段活用なので「着れる」という表現は嫌われていますが「切れる」は普通の可能動詞で、受け入れられています。「着られる」は「着+られる」だけど「切られる」は「切ら+れる」なので両者は外見は一緒だけど構造が違います。でも発音的には区別が付かないので「切られる」が「切れる」になまるんだったら「着られる」が「着れる」になまっても全くおかしくないでしょう。また、中学校のときは毎年合唱コンクールがありました。これは結構心に残っています。自分のクラスは1年6組のときは「風の旅へ」を歌って、2年4組は「憧れはいつも」を歌って、3年9組では「青い鳥」を歌いました。同じ学年の他のクラスの曲では、1年3組の「想い出がいっぱい」と2年8組のCOSMOSと3年5組の「旅立ちの時」と8組の手紙が好きでした。COSMOSという曲は自分が宇宙が好きだからというよりメロディー的に好きだと思いました。どこかのクラスが歌って欲しいなーでも多分この曲は選ばれないだろうなーと思ってたけど8組がこの曲だったので嬉しかったです。2年の合唱コンクールでは時の旅人を歌ってた7組が金賞ではなく銀賞だったことに驚きました。また、高校入試直前の1月に地味に県版テストっていうのがありましたが1位だったので嬉しかったです。まぐれだと思いますけど定期テスト以外の出題範囲がないテストで1位になるとは思ってなかったのでびっくりしました。僕は中学校でも高校でもテスト範囲があるときとないときとでは順位が激しく違います。能力や問題を解く速度が低いからです。そのときは定期テストで1番だったことは4、5回ありましたが実力のテストは全然違ったです。共通テストは18位と11位でした。国語は2回とも31点でした。でも次のテストは国語では40点で5教科の順位が1位だったので嬉しかったです。でもそれは単なる偶然だと分かってたので志望校に前期で合格するのは完全に諦めていました。かなり難しいので絶対絶対絶対無理と思いました。前期の模試ではE2判定でした。本番の倍率は10倍でした。ところが結果は合格内定でした。本当にびっくりしました。本当に嬉しかったです。こういうことを思い出したら中学校の頃の自分は本当によくやってたなと思いました。今の自分とは大違いだと思いました。今ではその頃と比べると随分と落ちこぼれてしまいました。大学では単位が取れてな過ぎて大学通学を休むことになりました。自分の唯一の取り柄を失ってしまいました。自分に自信がなくなり、将来に希望がなくなりました。中学校では、中学1年のときの集団宿泊の朝の集いに大遅刻したにも関わらずなぜか3年間皆勤賞でした。1年のときに朝の集いに思いっ切り遅刻してるのに賞状貰っていいのかと思いました。3年間で1日だけ卒業式の前日の東日本大震災の日に欠席しましたが車で学校に少しだけ来たら担任の先生が賞状くれました。

高校では、とにかく予習や宿題がかなり大変でした。自分は部活に入ってませんでしたが、それでも学校の先生から課された予習や宿題もまともにできてなかったです。量が多過ぎて全然ついて行けませんでした。数学の予習では自分が板書するように割り当てられた問題を解くだけで精一杯でした。他の人が板書さす問題は全然手が回らなくて全然予習できてませんでした。限られた時間は他の教科の予習と自分が担当する問題で全て使い果たしてしまい、数学の予習は毎日殆んどできてない状態でした。テストの点数も悪かったです。勿論他の教科の予習も不十分でした。古文の予習なら出て来た古文単語の意味を調べて本文中における意味はその中のどの意味なのかを考えるだけで自分だったら1時間は掛かります。だから全訳しなきゃいけないとなると多分3時間くらいは掛かりそうです。数学は他の人がやる問題も含めて全ての問題を記述式で解答するなら自分は1問で30分か1時間くらい掛かってしまうので全部解いたら5時間くらい掛かると思います。だから朝課外も数学があるし授業でも問題演習をやるような日は全部で10時間掛かることになります。したがって次の日の予習を朝課外の予習も含めて国語数学英語全部やるためには1日あたり平均約10時間掛かりそうです。消費する時間の比率は自分の場合は多分大体国:数:英=6:10:3くらいです。あと理科で宿題が出されるときもあります。3教科の予習で10時間掛かるなら帰宅部で通学時間1時間なら睡眠時間は1時間半くらいしかありません。睡眠時間は5時間にしたいと思っていましたが毎日家に帰って予習をしようかと思ったらいつの間にか寝てしまって予習をできてないまま朝を迎えるっていうのの繰り返しでした。そのため睡眠は十分取れてましたが予習が全然できていませんでした。数学が一番予習のできが悪かったです。予習ができなかったのがつらかったです。予習できてないと怒られるからつらいっていうのもありますが怒られるかどうかに関わらずできてない状態で授業を受けること自体が苦しいです。特に授業の内容が自分の好きな内容だったのに予習できなかったときは苦しい感情や口惜しさが増幅します。また、2、3年のときは10組だったので大変なのは当然ですが1年のときは楽だったわけじゃなく1年のときも同じくらいきつかったです。入学したときの新入生テストでは国語は61点でした。それがどうかしたのかと思うかも知れませんがどうかしたんです。413人中最下位でした。高校入試の前は塾通いを止めて家で自分で国語を勉強してそれで折角模試では43点が取れたけどすっかりリバウンドしてしまいました。悲しかったです。因みに自分は幸いにも前期で合格できたので前期は英語と数学と理科だったので国語を勉強したのは意味がありませんでした。それにしても100点満点の61点で最下位ってなんか凄いですね。新入生テストと同時に行われた課題考査では国語は平均点が40点くらいでした。新入生テストは高校のときの他のテストとは次元が違ったなあと思いました。数学の最初の期末テストでは50点を取りました。新入生テストで国語単独で最下位だったときより悲しかったです。2年のときに世界史で26点を取ったときより悲しかったです。マーク模試のリスニングで12点を取ったときより悲しかったです。好きな教科で悪い点数を取ったときはあまり興味がない教科で悪い点数を取ったときより苦しいのです。また、テスト範囲が限定されていて勉強しさえすればやった分だけ点が取れる定期考査や定着テストなどで悪い点数を取ったときはテスト範囲がなくて勉強しさえすれば良い点数が取れるわけじゃなくて自分の知能指数の高さや籤運の良さで点が決まる模試で悪い点数を取ったときより苦しいです。採点する先生から勉強をさぼっているみたいに悪く思われるのが気分的にきついからです。定期テストとかは先生が作られるので、悪い点数を取ると先生に対して申し訳ない気持ちになります。もう一つの理由は、自分は範囲が決まっている定期テストとかの勉強をするのが個人的に好きだったのでちゃんと勉強して良い点数を取れないと悔しくなるからです。だから定期テストとかでは勉強して良い点数を取らないと気が済まないのです。僕が中学校の定期テストや高校の定期考査や定着テストなどで勉強していたのは、自分の実力を高めるためや受験勉強のためではなくそういう理由です。そういうテストではとにかく良い点数を取らないと気が治まらなかったので、自分にとっては実力をアップさせることがゴールではなくそういうテストで良い点数を取ることがゴールでした。そういうテストで悪い点数を取るのは苦しかったので、そういうテストがあるときはその苦しい感情から逃れるために頑張って勉強していました。受験のためではなく苦しみから逃れるためです。勉強が思うように間に合わず悪い点数を取ってしまい遣り切れなかったことも沢山ありました。1年の1学期のときに一回昼休みに弁当終わって机に座ってたら同じクラスの女子がガラケーを僕の方に向けていきなり無断で写真を撮って来ました。でなんか面白がってました。どうすればいいか分からなくて気まずかったです。僕はただ座ってじっとしてただけなのになぜか僕を撮影して笑ってました。古文で、ク活用の形容詞は例えば「うぜえ」「なげえ」「さみい」みたいに言えるけど、シク活用の形容詞はそういう風に言えないことに気づいたので、それを同じ掃除場所の人に話したら結構うけてくれたので嬉しかったです。11月と12月には修学旅行に行きました。高校には電車で通っていましたが当日は始発に乗っても間に合わないので4時に起きて車で送ってもらいました。東京では夕方の5時15分頃にもう既に真っ暗になってたので熊本より暗くなるのが早いと感じました。東大生と喋るイベントがありましたが質問することが思いつかなかったので申し訳なかったです。新宿のホテルでは朝は3時半に起きた日がありました。大学に通っていた頃や今は大音量の目覚まし時計をセットしてても起きれないのにそのときは30回鳴ると勝手に止まる腕時計のアラームでよく起きれたなと思いました。今はパソコンのアラームのアプリを使ってるんですが、パソコンの音量のボリューム100にしてるのに鳴り始めても目が覚めません。夢の中で聞こえてるときもあります。目が覚めた頃には2時間以上ずっと鳴り続けている状態です。自分は時間とか空間とか相対性理論とかに興味があったので、修学旅行が終わった後に学年便りみたいなのの修学旅行特集でみんなと相対性理論について喋ったのが楽しかったって書いてあったのを見たのでびっくりしました。女子高生達の会話で相対性理論が出て来るなんて思いませんでした。超意外でした。相対性理論に興味があったのでその会話聞いてみたかったです。入学して最初の進研模試は学年で235位でしたがその次の進研模試では20番でした。思ったより上がったのでかなり嬉しかったです。こんなに上がるとは思いませんでした。
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