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考えているので、それなら僕に悪い印象を与えてしまったその先生は理由の如何に関わらず僕に謝るべきということになるはずです。その先生がどんな理由を言ってもそれはその先生が僕に謝らなくて良い理由にはならないです。それはその先生が僕を怒る際に僕の理由や裏事情などを考慮しなかったということは「この人が謝るべきかどうかという問題にこの人が自分に悪い印象を与えてしまった理由や止むを得ない裏事情は関係ない」「どんな理由や事情があっても相手に悪い印象を与えてしまった時点でその人は謝らなければならない」という意味ですよね。だから僕に悪い印象を与えてしまったその先生も、その先生にどんな理由や事情があったとしても僕に悪い印象を与えてしまった時点でその先生は謝らないといけないのです。だからその先生が自分が僕に謝らなくて良い理由を持ち出したら、その先生は①を否定していることになり、「相手に悪い印象を与えてしまってもそれについての正当な理由や止むを得ない事情があれば相手に謝らなくて良くなることもあり得る」―② を肯定していることになるため、自分が僕の理由や裏事情などを無視して僕に怒ったという行動と矛盾するんです。一番最初に僕が先生に悪い印象を与えてしまった理由は考慮しなかったのにそのあと先生が僕に悪い印象を与えてしまったことに理由を付けたらずるくないですか?その先生は僕がレジュメのファイルを送って欲しいと言ったのを聞いて悪い印象を受けたという理由で僕の理由や事情を考えないで僕を怒ったからには、相手に悪い印象を与えた人はその理由に関係なく謝れということなので自分も僕に僕に悪い印象を与えたことを謝らないといけないということになるのです。相手に悪い印象を与えた人はその理由に関係なく謝れということは僕に悪い印象を与えたその先生も自分の個人的な事情などに関係なく謝れということなので、僕がその先生に仕返しをしていいのか考えるときにその先生の理由や裏事情とかを考える必要はないはずです。その先生が僕の事情などを考えてくれなかったんだから、僕もその先生の事情などは考えませんよ。その先生は僕の事情を考えずむかついたという理由で僕を怒ったんだから、僕もその先生の事情は考えずその先生のことがむかつくという理由でその先生に仕返ししますよ。僕はその先生に仕返しするときにその先生の理由や裏事情や、その先生は本当の意味で悪いことをやったのかなどを考えませんでしたが、そのことを悪く思わないで欲しいと思いました。相手に悪い印象を与えてしまった人はその理由に関係なく謝れということは相手に悪い印象を与えてしまった時点で謝らなきゃいけないことは確定するという意味なので、その先生も僕に悪い印象を与えてしまった時点で僕に謝らなきゃいけないことは確定するので、僕がその先生は僕に謝るべきか考えるときにはそれ以外のことは何も考えなくて良いと思います。実際、僕はその先生が僕は身勝手だと言われたのを聞いて悪い印象を受けました。なのでもしその先生は僕に悪い印象を与えたけど僕に謝らなくて良かったとしたら②が正しくて①は間違っていたことになるため、その先生が最初に僕の理由や事情を考えずに僕を怒ったのも間違っていたことになると思います。

僕はその先生に恨みがあるようになりました。出席できていなかったことを身勝手な理由にされたからです。自分は心の病気の症状があったので、大学通いでは苦戦していました。大学の宿題とかに取り組もうとしたらいつの間にか無意識に考える必要のないことを考えてしまい、その間に時間が過ぎてしまい、宿題に取り掛かるのが遅れたり、宿題をしている途中でそれとは関係ないことを考えてしまって中断してしまい、宿題を終わらせる迄に時間が掛かったことがありました。そうなると宿題を終わらせるためには夜更かしせざるを得なくなります。それが線形代数学の宿題だったら、徹夜して迄して終わらせても欠席してしまったら全部意味がないから宿題を終えることより出席することを優先して宿題を終わらせるのは諦めるという選択肢もあるかも知れませんが、そういうわけには行かない科目があります。プレゼンテーションや、科目名が思い出せませんが1年前期の月曜の計算機演習の次の時間にあった授業や環境問題事例研究や人生設計とかです。こういう科目は一人でやるのではなく2人のペアや3人以上のグループで宿題?みたいなのを役割分担して次回迄に完成させないといけません。だから自分に割り当てられた仕事を早く終わらせないと完成するのが間に合わなくなったりするのでペアの人や同じグループの人に迷惑が掛かります。だからその仕事を終わらせるのを諦めるという選択肢はありません。夜更かししないと終わらせ切れないのなら夜更かしするしかないです。夜更かしをすると朝の講義に欠席してしまいやすくなります。心の病気の症状→無意識に考えてしまう→時間が潰れる→自分に任された仕事をするのが遅れる→夜更かししないと間に合わない→仕方なく夜更かし→朝の講義に欠席 っていう風になって行くので、僕が出席できていなかったことは病気と関係していると思います。その症状はその先生が大学生の頃にもあられたんでしょうか。恐らくなかったでしょう。また、自分は他の人に比べて外部からの刺激に瞬時に反応する反射神経は鈍く、作業を速くやるのが苦手で、作業をするスピードはのろい方だと思うので、その先生は他の人と比べて平均的だったなら自分より作業を速くやる能力に恵まれていたでしょう。僕は明らかに平均より下で、最下位くらいのレベルなのでその先生が他の人と比べて平均ぐらいだったなら結果的にその先生は僕より処理能力が優れていたということです。それが成り立たないのはその先生が僕と全く一緒で他の人と比べてスピードがかなり遅くてクラスの中で一番遅いみたいな感じだった場合だけです。その先生や他の人みたいに、僕のような症状がなく、僕より高い処理能力を持っているなら、宿題をやっている途中で考えてしまうこともなく、スピードも速いので、宿題などが僕より早く終わります。早く終わったら、その日は僕より早く寝れます。早く寝れば、朝はちゃんと起きれやすいです。朝ちゃんと起きれれば、大学の講義に朝から出られます。いいですね。だから恐らくその先生は大学の頃はちゃんと出席されていたでしょう。僕が出席する難しさとその先生が出席する難しさって一緒ですか?その先生は病気の症状がないし僕より能力が恵まれているんだから僕より有利ですよね?その先生と僕はコンディションが違うんですよ。病気があるのかないのかが違います。処理能力の高さも違います。その先生は自分のコンディションが都合が良いから僕より出席するのが簡単なんですよ。その先生は僕より出席するのが簡単なら、あまり苦労することなく講義に出席できます。講義に出席して勉強すれば単位を取得できます。病気がなくて処理能力が高いなら僕より勉強する余裕もあるでしょう。単位をちゃんと取れれば国公立大学を卒業できます。そこを卒業できれば僕みたいに退学したときより就職で有利になります。それで大学の先生になれれば沢山の収入が貰えます。沢山の収入が貰えれば楽できます。そう考えただけでも十分恨みたくなりますよ。ずるいです。っていうのは大学の先生全員に当てはまる話ではなく、学生への態度があまり悪くない先生には恨みたくはなりません。しかも僕は病気の症状とかによって出席するのを苦戦していたのにその病気がなくて僕よりはたやすく出席できたような先生から僕が出席できてなかったことをあんな言い方されたら遣り切れませんよ。この気持ち分かってもらえるかなあって思いましたが、その気持ち分かるっていう人がおったら嬉しいです。こっちは本当は出席したいのに病気があって苦戦して思うように行かなくて苦しんでんのに、病気とは無縁で僕よりは簡単に出席できた人から上から目線で出席できてないのをバカみたいに言われたのでかなり嫌でした。僕はその先生が大学の頃には持っていなかった病気を持っているんですよ。だからその先生より状況が険しいんですよ。こっちは病気の症状があるからその先生とは違って色々大変なんですよ?そういうこと分かってないくせになんであんな言い方されないといけないのかってなります。僕はその先生みたいな精神的に異常がない幸せな人じゃないんですよ。こっちだって大学生だった頃のその先生みたいに心の病気の症状がなくて人並みの処理能力を持ってるぐらいならもっと出席しますよ。だって欠席して単位落として留年して学費が増えて親に経済的負担を掛けるの嫌ですもん。入学したときに親が折角出してくれた授業料無駄にするの嫌ですもん。出席するということはやる気さえあればできるんだったらとっくに出席していますよ。僕も本当はちゃんと出席したいんですよ。そりゃあ欠席はしたくないですよ。その先生は僕のような病気の症状があって反射神経も鈍くて何かをするスピードがかなり遅かったとしてもちゃんと出席できる自信あっとや?難しいですよ。勿論、その症状をなくすっていうのも無理です。自信あるって言われても信用できませんけどね。僕のような厳しい状況を実際に経験せずにただ自信あるって言うだけなら誰でも簡単ですよ。僕の厳しい状況がどんなものなのか思い知ってないで自信あるって言っても信用できないと思います。自信ないなら出席できてなかった人に対して偉そうな態度取るのやめて欲しいです。

その先生は前の返信では一番最後に「(その先生が僕が最初に送ったメールに)回答しないという選択肢は無視といういじめになり兼ねませんので、今回のケースではその選択はあり得ません。」って書かれてありました。人から来たメールに答えないのはあり得ないってことですよね。その先生はこう言われていたので、僕が去年の10月下旬にメールを送ったときもその先生はそのメールを無視するという選択肢を取られることはないだろう、何かと言った返事をされるだろうと思っていました。回答しないのはあり得ないって自分で言われてましたからね。僕が一番初めに送ったメールでは「無理なら、良いです。」って書いていたので返信はしなくても悪くはないと思いますが、10月のメールではそういうことは書いておらず、自分はメールの最後でその先生に、謝って厳しくするのをやめるか大学の先生を辞めるか僕が身勝手な理由か自分が他の人に厳しくしても良い理由か自分は僕に対して何もしなくても自分は僕に身勝手と言ったことに対して無責任ではない理由を説明して欲しいと書いたので、このメールはどう見ても返信が必要なメールです。これに返信しなかったらその先生は僕が言ったことを無視したことになります。ところがもう半年程経ちましたが未だに何も返信がありません。早く返信される必要はないとは書いていましたがずっと返信しなくて良いとは言っていません。半年経ったらもうさすがに無視しているようにしか考えられませんよね。無視していなくてまだ返信のメールを作成されている途中っていうのは非常に考えにくいです。その先生は前の返信では回答しないという選択肢はあり得ませんって言われていたんですよ。にもかかわらず10月に送ったメールでは僕はその先生に僕の意見が間違っている理由を説明することを要求していたのに半年経ってもその回答がありません。前ああいうことを言われていたのは一体何だったんでしょうか。無視といういじめになり兼ねないって言っていた先生がそれより内容が重いメールを無視されているようです。最初のメールでは絶対送って欲しいと言ったわけではなく無理ならしなくて良いと書いていたので返信はなくても罪にはならないと僕的には思いましたが、その先生はそれはあり得ないと言われていました。なんで最初のあんな短いメールに返信しないのは「無理なら、良いです。」って書いてあってもダメなのに、10月に出したあんな長いメールを返信しないのは「無理なら、良いです。」って書いてなくてもいいんでしょうかね。明らかに変ですよね。僕に身勝手って偉そうに言って人を苦しめておいて、僕が身勝手な理由を聞かれても無視するとか自分が僕に身勝手と言ったことに責任がないと思いました。身勝手だって言っていたくせにその根拠は説明しないなんて無責任じゃないですか?誰にも聞こえなかった独り言とかには責任は伴いませんが他の人に言ったことには責任を持つべきですよね。やるべきことをやらないで自分の都合を持ち出したのを身勝手とか言いながらそっちこそ「自分の発言に対して責任を持つ」というやるべきことをやってないです。10月のメールを読めば僕がその先生のことで苦しんできたということはメールの長さからも伺えるのに、その先生はそれを知っても何も反応しないということは僕はファイルを頼んだことによって自分を嫌な気持ちにさせたんだから苦しんで当然だとその先生は思われているようですね。じゃあその先生も苦しんでください。恐らくそれ以上にその先生は身勝手と言ったことによって僕を嫌な気持ちにさせて苦しめさせたんですから。それにその先生の返信には誰でも気づくような間違いがありました。僕がレジュメのファイルを頼んだのが印象が悪いという話題で、良い例が「レジュメを頂けませんか」悪い例が「レジュメのファイルを送ってください」って書いてありました。そこでその先生が言おうとされていたことは、自分が僕に身勝手だと言ったのはレジュメが欲しいというメールを送ったからではなくレジュメのファイルを送って欲しいという特別な対応を求めたからだということでした。だから本来はレジュメを頼んだ場合と特別にファイルを頼んだ場合で印象がどう違うかを比べないといけませんがそれ以外にも文末表現も変えてあります。これはおかしいですよね。なんでファイルを依頼したことについての話題なのに文末表現が変えてあるんでしょうか。良い例と悪い例で話題とは関係ない条件を変えるのはおかしいです。如何にも嫌らしくてずるっぽいですね。僕が身勝手だということがもっともらしくなるようにただレジュメを頼んだ場合より僕のようにファイルを頼んだ場合の方が印象が悪く聞こえるように印象が良いと思わせたいただレジュメを頼んだ場合のセリフを丁寧な言い方にして、ああ確かにこれは身勝手だと思って欲しい、レジュメのファイルを頼んだ場合のセリフを、僕がその先生に実際に言ったときの言い方とは全然違う言い方で強い言い方にしてあるように見えます。本当は僕は控え目に言ったというのに悪い例では控え目じゃない言い方になっており、その先生にとって理想的な例では「レジュメを頂けませんか」という丁寧な言い方になっているので、まるで僕は控え目じゃない乱暴な言い方をして、先生に対しては控え目な表現を使いなさいよみたいになっています。これじゃあただレジュメを頼んだときのセリフよりファイルを頼んだときのセリフの方が印象が悪くなるのは当たり前じゃないか!だって言葉遣いが違うんやもん。「違いに気づきますか?」って気づかないわけないだろうが。誰でも簡単に分かるし。その先生はいつも学生とかに対しては色々厳しくて神敬質なくせに自分は何やこの間違い!最初の返信では僕が件名で「線形代数」を「線形台数」に変換ミスしていたの迄怒ったくせに自分は何や!僕はもう自殺します。もうその先生に言われたことで苦しんだときみたいな嫌な思いするの繰り返すの嫌なんですよ。別に死んでいいです。どうせ生きててもきついだけですもん。今日の昼はLv.76のペリッパーが野生で出現した夢を見ました。

あと、自殺した理由とは関係ありませんが、自殺した後は僕が自殺した後に犯罪をしてしまった人の中でも特に「『意識がはっきりしている状態で衝動的にではなく意図的に、そしてそれが犯罪だということや遺書で僕がこのように書いていることを分かっている状態で犯罪』―③ した人は『この世で最もハードルが高い地獄に行ってそこで何千億年もずっと出られずにひたすら過ごし続ける』―④ ことになるように本気で呪う」―⑤ 積もりです。僕がこのように書いていることを分かっている上でっていうのは僕が遺書の中で書いた、③をした人は地獄で何千億年も過ごすように呪いますよっていうことを承知した上で、という意味です。実際に犯罪をした人でも衝動的や反射的にしてしまった場合や自分がしたことが犯罪だということを知らなかった場合や善悪の区別をする能力が欠けていた場合や僕が遺書でこのように書いているという事実を知らなかった場合や、例えばスピード違反や右側通行など、禁止されているけど捕まる程ではないような軽いものや、犯罪に入るのか入らないのかよく分からないようなものだった場合や、それ以外でも何か例外的な状況だった場合は違います。何千億年も経つ前に50億年経ったら太陽が膨張することで地球はなくなりますが地獄は地球にあるわけじゃないのでそこはまだなくならないかも知れません。1億年って恐ろしい程長いですよ。1億年は1万年が1万セットです。1万年は100年が100セットなので、仮にそこで1万年過ごすとしたら今は21世紀ですが大体それが120世紀になる迄です。西暦0年のときから今迄ってかなり長いようだけどそれぐらいの長さでもまだ20世紀ぐらいしか稼げませんからね。今から120世紀迄ってそれの5倍の長さありますよ。それをクリアしてやっと1万年クリアです。1万年は1億年の100分の1の100分の1なので1億年の1%のそのまた1%です。だから1億年がゴールだったら1万年クリアしてもまだスタートからゴール迄の1%もクリアしていないことになります。1%は100万年なので1万年を100個稼いでやっとスタートからゴール迄の1%クリアです。1万年耐えるっていうのを100回繰り返しても1億年クリア迄はまだ99%も残っているのです。僕が⑤と言ったのは③が④しなければならないに値するくらい極端に悪いことなんだっていう意味じゃないです。確かにいくら悪いと言ってもそれはあまりにも大げさ過ぎるかも知れません。じゃあ⑤はやるべきじゃないのか、っていうのが悩みましたが、そうしたのは、そうしないと無理だからです。しちゃダメですよってどんなに強く言ってもやる人はやります。他の人がしちゃダメって言っているのを鵜呑みにする必要はないと考えている人はやります。自分の考えではしても良いと考えている人はやります。刑罰を重くしても警察にばれない自信がある人や死刑になっても良いと思っている人はやります。警備を厳重にしても知能指数が高い人や分厚い警備の壁を破ろうとするのがパズルを解くみたいでそういうのが好きな人は犯行に成功できるかも知れません。だから条件的には大げさ過ぎると思いますが犯罪がされないようにするためにはそうするしかありません。勿論、それで犯罪がされなくなるかどうかも全く分かりません。それは十分条件ではありません。もし何も変わらなかったら無意味なことを言って本当に申し訳ありませんでした。それ以外のちまちましたことでは改善される見込みが殆んどないです。本当に難しいと思います。また、誰かが犯罪されたらされた人が可哀想だからです。ニュースでそういうのを聞くと、他の人のことなので自分には関係ありませんが、本当にきついです。可哀想だからです。自分もそうなるかも知れないと思うからきついのではなく他の人が苦しんでいるということ自体が僕にとっても苦しいです。僕は前で書いたようにもう死にたくないとは思っていないので自分が殺害されるんじゃないかと心配する必要はないんですが、それでもニュースで人が殺されたことを聞くと本当につらいですよ。だからそういう悪いことは絶対して欲しくありません。それをさせないようにするためなら何でもやりますよ。それが何より一番大事です。僕はそのことに全ての力を尽くしたいです。条件的には極端かも知れませんが、どんなに極端だってもとにかく犯罪をしなきゃいいんです。しさえしなければ済む話です。だからああいう風になるのが嫌ならしないでください。でも世界には犯罪をするような悪い人が沢山いると思いますが、その中の殆んどの人は、僕が遺書でこのように書いているということに気づくことなく、そのまま犯罪をすることでしょう。そしてその犯罪に遭った人は苦しい思いをされるでしょう。僕のことを知らない人達は僕の遺書なんて読まないだろうし、遺書の中でもこの話題は後ろの方に書いてるので、この遺書に出会ったとしても結構読み進めないとここには辿り着けません。ここ迄読み進めてくれないと僕がこう書いていることには気づけないので、僕を知らない人にとってはこのことは気づきにくいですよね。僕を知ってる人達がこれを読んでくれたとしても悪い人達がこれを読んでくれなきゃ意味がないので、この遺書のこの場所を読んでくださった人は誰かできれば世界中の悪い人達にも伝わるようにして欲しいんですけどね……。この場所を読んでくれる人はどれくらいいるのか全く予想付きません。今この場所を読んでくれている人は、ここ迄読み進めてくださってどうもありがとうございます。でもそういう人はほんの一握りしかいないかも知れません。この段落で書いていることに関しては普通の人より悪い人に伝えたいんですが、ここを読んでくださる人は殆んどみんな悪くない人で、悪い人は殆んどの人がこのことには全く気づかないでしょう。この場所に限っては犯罪をやるような悪い人に伝えたいです。あと、いじめは犯罪ではありませんが、いじめをわざとそれがいじめだと分かってて僕がこう書いているのも分かっててやった人も④することになるように呪う積もりです。

また、小中学校か高校か大学の先生で先生になられてから一回もミスをしたことがない先生以外で、忘れ物した人や授業中に居眠りした人や予習や宿題ができてなかった人や講義に欠席した人を怒った先生は僕が自殺した後にその先生の身にいつか悪いことが起こるように呪う積もりです。ミスっていうのは具体的には授業で説明されるときの言い間違い、板書の書き間違い、児童や生徒の名前の覚え間違い、呼び間違い、職員室からの忘れ物、プリントを作成されたときのタイプミス、採点ミスなど ―⑥ です。内容的に線形代数学Ⅰの先生へのメールに書いていたことと重複するところがあると思いますが、⑥は人間だからミスはどうしてもやってしまうものだから仕方ないと思われるかも知れませんが、それって児童や生徒とかの自宅からの忘れ物も一緒じゃないですか?忘れ物っていうのは言い換えると学校に持って行く物を用意する際のミスです。持って行かなきゃいけないと分かっててそれをわざと持って来ない人はいませんから、忘れ物っていうのはミスなんです。なんで持って行くのを用意するときにミスるのはダメで、先生が授業でミスられるのはいいんですか?どう考えてもおかしいですね。ミスをする場面によって善悪が変化するのは変です。先生は自分はコンピューターではないんだから⑥は止むを得ないから悪くないと思われているようですが、じゃあ児童や生徒や学生はコンピューターなんですか?「人はどうしてもミスをしてしまうものだから」という理由で⑥が許容されるぐらいなら、同じようにして生徒とかが持って行くのを用意するときにミスをしてしまうのも「人はどうしてもミスをしてしまうものだから」という理由で許容されるはずです。だって生徒もコンピューターじゃなくて人ですから。先生も児童や生徒もコンピューターではなく人であることに変わりないのに、なんで先生が授業中とかにミスをするのは人だからミスは防ぎようがないという理由で許容されるのに、児童や生徒が持参物準備中にミスをするのは人だからミスは防ぎようがないという理由で許容されないんですか?辻褄が合いませんよね。それは先生は人だけど児童や生徒は人じゃないっていう意味ですか?ひどいですね。先生は人なんだからミスをしても許されるけど児童や生徒はミス(忘れ物)をしちゃダメってことは必然的にそういうことになりませんか?そう考えるしかありません。先生は人だからミスをしても許されるけど児童や生徒はミスをするのは許されないということは「児童や生徒は人である」ということを否定していますよ。先生の授業でのミスと児童や生徒の用意するときのミスで善悪が違うってことは両者は何かが違うということでしょうが、その違いって何なんですか?それ合理的に説明できるんですか?先生は授業で一番前の席の人から後ろに順番に当てていくときに間違えて一人飛ばされてしまうことがあります。前から3番目の人を当てた後は4番目の人を当てないといけないけどその人を飛ばして5番目の人を当ててしまうみたいなのです。教科書の問題を1番から順にやっていくときに間違えて1個飛ばされてしまうことも時々あるでしょう。それと同じように児童や生徒だって持って行く物を1時間目から順に用意していくときに間違えて1個飛ばしてしまうこともありますよ。人はどうしても間違えてしまうものだから先生が授業で人や問題などを飛ばしてしまうことがあるのは当然のことだと思われていると思いますが、それなら児童や生徒も人なんだからその人達が朝に用意するときに一つのコマを間違えて飛ばしてしまうことがあるのも当然じゃないですか?なんで前者は良くて後者はダメなんですか?意味分かりません。両者はうっかり飛ばしてしまう対象が違うだけです。なんで対象が変わっただけでいいのかダメなのかが変わるんでしょうか。先生の授業におけるミスは全くしないようにするのは難しいからっていうのがミスをしても悪くない理由だと思いますが、それは児童や生徒が用意するときのミスにも当てはまることです。用意するときのミスも先生の授業でのミスと同じようにどんなに頑張ってもどうしてもやってしまうものです。だから先生のミスが「どうしてもやってしまう」という理由で許されるんだったら絶対用意するときのミスも同様の理由で許されるでしょう。両方ともそのことに変わりはないのに、なんで片方だけが「どうしてもやってしまう」という理由で許されて、他方は許されないんでしょうか。自分達に都合良過ぎですね。「どうしてもやってしまう」っていうのは両方に共通して言えることなので、それは忘れ物は悪くて授業でのミスは悪くない理由にはなりませんよね。リンゴより苺の方が好きな理由を言うときに「苺は赤いから」「自分は果物が好きだから」って言ってそれ苺の方が好きな理由になりますか?先生が授業で言い間違いをされると混乱の基になるのでできるだけしないで欲しいんですが、絶対するなと言われてもそれは無理だと思います。それ持って行くのを用意するときのミスも一緒ですよ。忘れ物するなって言われても無理です。授業でのミスは防ぐのが難しいという自分の都合だけじゃなくて忘れ物を防ぐのは難しいという児童や生徒の都合も考えてください。授業中に絶対ミスはしないようにしてくださいと言われてそうできる自信ありますか?ないのなら持参物準備中に絶対ミスはしないようにしなさい、つまり忘れ物は絶対しないようにしなさいって言わないでください。それが嫌なら呪われるのを我慢してください。忘れ物をしてしまって怒られる人も我慢してるんです。僕もずっと我慢していました。人に我慢させるんだったら自分も我慢してくださいよ。今度忘れ物をした人を怒ったら自分は呪われていつか自分の身に不吉なことが起こると思ってください。僕は学校に行っていた頃はそれできつい思いしたんですよ。ほんと遣り切れませんよ。これから学校に通う人にはこの思いをして欲しくないので、忘れ物を怒った先生は僕が呪ってやりますよ。もうこれ以上児童や生徒の人を苦しめないでください。忘れ物をすると興味関心の評価が下げられることがありますが、全く意味不明です。最低ですね。忘れ物はミスなのでわざとやるものではなく無意識にやってしまうものなので忘れ物するかしないかは意欲で決まるわけではありません。ミスはどうしてもやってしまうものなので持って行くのを用意するときにミスをしたからその人はその教科に関心がないと考えるのはおかしいです。これの対偶は「その人がその教科に関心を持てばその教科の授業で必要なものを用意するときにミスをしない」となります。これは言い換えると「持って行くのを用意するときにミスしないようにするためにはその教科に関心を持てば良い」ということです。もしこれが真だったら忘れ物するのを防止することはしようと思えば可能ということになります。それは間違いです。それで解決するぐらいならとっくに解決してますから。授業をするときのミスを完全に防止しようと思ってできるんですか?できないくせに忘れ物は防ごうと思えば防げるなんて勝手に決め付けないでください。忘れ物するかしないかはやる気の問題ではありません。忘れ物してしまう人の気持ち理解できてないくせに忘れ物は気持ちの問題だなんて言わないで欲しいです。なんで忘れ物をしてしまう本人の気持ちや裏事情などを分かってない人が勝手に決めるんですか?評価の基になる提出物を提出するのを忘れた場合は評価が付けられないためその分の評価が0点になるのは仕方ありませんが、忘れ物をしたという理由でわざと興味関心の点数を減点するのはおかしいです。先生が授業でミスをされることがあるのは先生が授業をする気がないからですか?先生がミスをされたら「この先生はやる気なし」って見なされたらどう思われますか?それに納得できないなら「忘れ物した人はやる気なし」というのにも納得しないでください。両方とも人ならどうしてもやってしまうミスですからね。「忘れ物した人はやる気なし」と考えるんだったら「授業で間違えた先生はやる気なし」とも考えるべきです。前者だけ認めて後者は認めないのは自分勝手ですよね。自分にとって都合が良いようにして忘れ物をしてしまう人のことを考えていません。先生が授業でミスをなくすのは無理なように児童や生徒が用意するときにミスをなくすのも無理なんですよ。なんで児童や生徒が用意するときにミスをしたら怒られるのに、先生はミスをしても何も言われないのか。かなり不満ですよ。忘れ物した人を怒る先生が本当に許せないです。いい加減にしてください。忘れ物した人は授業でミスをした先生と同じく何の罪もないのになんで怒られたり減点されたりしないといけないんですか。先生は⑥に対してもっともらしい理由を付けないでください。それは児童や生徒が忘れ物をしたときにそれの理由の考慮されないからです。大抵は忘れ物をするとその理由は聞かれず、理由には関係なく忘れ物をした時点で怒られます。なんで児童や生徒がミスをした理由は考慮しないのに自分達がミスをした理由は考慮するんですか?それは不公平ですよね。誰かが忘れ物をしても先生は普通はその理由は確認されません。理由は判断材料に入れずに勝手に悪いと決め付けられます。つまり、その人が忘れてしまった理由を無視されていますよね。なのに自分が授業などでミスをしてしまった理由は重視するのは卑怯じゃないですか?明らかにおかしいと思います。

先生達は時々プリントなどでタイプミスをされていたり、採点ミスをされたりしますが、それなら入力や採点した後にミスがないか見直しをされれば良いんじゃないですか?宿題プリントの問題文中とかに入力ミスがあると混乱するんですよ。問題が間違えていたせいで本当は簡単に解ける問題が分からない問題になってしまい、それで悩んで問題が間違えていたことを知って何やそれってなったことがありました。一回27^a+27^(-a)を求める問題があって、3乗+3乗の因数分解の公式を使えば解ける問題だったんですが、プリントでは27^aのaが抜けていたので、27+27^(-a)になっていました。だから3^a+3^(-a)の値と3^a-3^(-a)の値を使って連立方程式を解いて3^(-a)の値を求め、それを3乗して27を足して求めました。答えは無理数になりました。でもaが抜けていたのでただ因数分解するだけの簡単な問題でした。答えは整数でした。だから問題に間違いがあると結構困惑したり無駄な時間を過ごしたりするからできるだけ止めて欲しいんですよ。そう言われて「先生は忙しいから見直しをする時間がない」って言われたら、先生がそう言ってミスをした責任から逃れられるのなら、忘れ物した人も「自分は朝が早いから忘れ物がないか丁寧にチェックする時間がない」って言えるし、授業中に居眠りした人も「自分は部活で忙しいし宿題も多いから家で寝る時間がない」って言えるし、予習や宿題ができてなかった人や宿題を出すのが遅れた人も「自分は忙しいから宿題をやる時間がない」「他の教科の予習で帰宅してから床に就く迄の間の限られた時間を全部使い果たしてしまうからこの教科は予習する時間がない」「予習するための時間を確保すると睡眠時間が短くなってしまい、睡眠時間が短くなると授業中に居眠りしてしまい、居眠りしてしまうと授業が聞けないから予習するための時間が取れない」って言えるし、テストの点数が悪かった人も「テスト中時間が足りないから全ての問題を解く時間がないし、ミスがないか見直す時間もない」「自分は部活とかで忙しいからテスト勉強する時間がない」って言えるし、大学で講義に欠席した人も「自分は他の科目でやることが多いから講義に出る時間がない」って言えるんじゃないんですか?でも先生達は生徒とかがそのような理由を言ってもその人がやったことを許そうとされません。なんで先生は忙しくて時間がないという理由でミスをしても許されるのに生徒とかは忙しくて時間がないという理由であまり良くないことをするのは許されないんですか?先生はタイプミスや採点ミスなどはされてしまうかも知れませんが後で見直しをされればそこで訂正できると思います。それでも見直しをされないのはそうする時間がないというどうしようもない現状があるからですよね?それと同じように忘れ物や居眠りや予習不足や課題の未提出や出し遅れや赤点や欠席など ―⑦ をしてしまうときがある生徒とかにだって忙しくて時間がないっていうどうしようもない現状があるんですよ。そういうわけじゃないときもあるかも知れませんが多分そういう場合が多いと思います。小学生はあまり忙しくないと思いますが中には忙しい人や僕のように物事を速く処理するのが苦手な人もいるかも知れません。先生は見直しをする時間がないっていうのはどうしようもないことだからタイプミスや採点ミスをしてそれを訂正できないのは止むを得ないから悪いことではないと考えられていると思いますがそれなら流れ的に生徒とかは忙しくて時間がないっていうのはどうしようもないことだからそれによって⑦をしてしまうことがあるのは止むを得ないから悪いことではないと考えられるんじゃあないですか?だって時間がないのはどうしようもないことですからね。先生達がミスを見直して訂正する時間がないのはどうしようもないのと一緒ですよ。何がどう違うんですか?両方ともどうしようもない現状が原因になっています。なんで時間がないというどうしようもない現状があるという理由が⑦の正当な理由にならないのかが分かりません。「自分ができないことを現状のせいにするな」「時間がないなら睡眠時間を削りなさい」それは先生達が見直しをされないのも一緒です。そっちこそ見直しができないことを現状のせいにしてますからね。そっちこそ見直す時間がないなら睡眠時間を削られれば良いんじゃないですか?そうしないくせに生徒に向かって「時間がないなら寝なきゃいい」って言うのはおかしいです。それに睡眠時間を削ると学校で自然に居眠りしてしまいます。居眠りされるのが嫌なら生徒とかが家で十分に睡眠時間が取れるようにしてください。忘れ物したり予習をできてなかったり宿題を出し遅れると怒られるような状況では学校で居眠りしないようにするために必要な睡眠時間が取れません。学校で居眠りはして欲しくないと思われているようですが先生達が忘れ物した人や予習できてない人や出し遅れた人を怒るという行動が生徒とかが居眠りしてしまう原因になっているんです。なぜなら、忘れ物をできるだけ少なくするためにはチェックするための時間が必要だし、予習や宿題をちゃんとやるためにも勿論時間が必要であり、そういう時間を確保するには睡眠時間を減らすことが必要だからです。居眠りしたら怒るぐらいなら最初から「時間がないなら睡眠時間を削りなさい」って言わないでください。居眠りについての話題は遺書の後ろの方の大学のときの話の中で詳しく書きました。

というわけで、小中学校か高校か大学の先生をされている先生方の中で先生に初めてなられてから今迄一度も⑥をしたことがない先生以外で⑦をしてしまった児童や生徒や学生を怒ったりペナルティを与えたりした先生は悪いことが起こるように呪いますよ。冗談だと思わないでください。その人がそれを持って来なかったのや授業中に眠ったのがわざとだった場合や、重要な書類を忘れたことで先生の仕事に支障が伴った場合や、その人が予習や宿題やテスト勉強や講義への出席などをしなかったのはそれをする時間がなかったのではなく時間があったのにわざとしなかった(しようとしたけどできなかったのではなく最初からしようとしなかって、それをせずに遊んだりしていた)ということが明確な根拠があってはっきり分かっている場合は除きます。根拠がないのに先生が勝手に「この人が授業中寝ていたのはわざと寝ようとして寝たんだろう」「この人は多分遊んでいたんだろう」と予想するのはダメです。先生はいつも生徒とかには問題を解くときは「根拠が大事」「フィーリングで解くな」「『多分こうだろう』と予想して正解してても何の意味もない」って言われていますよね?それ自分も守ってください。特に小学生は宿題をしてなかったときは最初からしようとしないで遊んでいたということも多いかも知れませんが必ずしもそうとは限りません。自分のフィーリングで勝手に予想しないでください。高校生や僕達は尚更そうです。やらないで遊んでいたものと勝手に決め付けないでください。

僕が今迄言ってきたことが「この考えは一般的じゃないから」という理由は、僕が思っていることが間違っている理由にならないと思います。単純に「一般的に受け入れられる考え→○、一般的でない考え→×」と処理されることがありますが、そんな単純に考えて良いんでしょうか。もしそれが正しいなら「一般論は必ず正解で、一般論じゃない考えは必ず間違い」ということになります。評論では毎回必ず一般論に対する反論がなされているそうです。必ず正解だと分かり切っている一般論に反論してどうするんですか?「一般的じゃない=悪い」が正しいなら一般論の反論は間違っていることになるので、評論に書いてあることは全部嘘ということになります。だから「一般的でないものはダメなんだよ」って言うのは「評論に書いてあることは全て間違いだよ」って言うのと一緒です。それが本当なら評論家の人達とかがそれを書かれる意味があまりありません。「一般論じゃない考えは必ず間違い」―⑧ が真と仮定すると、「評論に書いてあることは絶対に間違っている」は明らかに一般論ではないので、これは間違いですよね。「一般的じゃない=悪い」と考えるとそういうことになるでしょう。「評論に書いてあることは絶対に間違っている」が間違いということは「評論に書いてあることは合っている可能性もある」ということであり、それは「一般論に対する反論は合っている可能性もある」ということです。一般論に対する反論は一般論ではないので、これは最初に仮定したことと矛盾します。⑧と仮定すると話がおかしくなるので、一般論じゃない考えは絶対に間違っているとは言い切れないと思います。だから僕が言ってきたことは確かに一般的ではありませんが、一般的ではないという理由でこれは間違いだと決め付けないで欲しいです。

それに、先生達は児童や生徒などが⑦や、法律や校則で禁止されていること以外で先生にとって気に入らないことをしてその人を怒るとき ―⑨ 、その人は悪いという判断が一般的な判断かどうかっていうのを毎回考慮されていますか?そういうのは考慮に入れないでただ自分がその人に腹が立った時点で怒る(その人が悪いかどうかを一般論は考慮に入れないで自分だけで判断する)先生が多いんじゃないですか?多くの先生は誰かが何かをしてむかついたら一般的にその行為は悪いと言えるかどうかには関係なくむかついた時点で直ぐに怒るんじゃないですか?自分はその人がやったことが悪いと感じたとしても、他の先生とかはどう思われるか分かりません。もしかしたら、自分は悪いと思ったとしても実際には殆んどの人はそれは別に悪くないと考える、つまり、「その人がやったことは悪い」という自分の判断は一般的ではない、のかも知れませんよ。「一般的じゃない=悪い」んだったら、その場合は「その人がやったことは悪い」という自分の判断も間違いになりますよ。だから一般的でないものは悪いという理由で僕の考えは間違いだって言うぐらいなら⑨のようなときに自分の考えが本当に一般的かどうか毎回確認すべきじゃないですか?それは一般的じゃないかも知れませんからね。一般的じゃないならダメって自分で言ってますからね。自分の判断が一般的かどうかは確認しないくせに僕の意見が一般的でないことにけちを付けるのはおかしいです。多くの先生は⑨のようなときは他の人だったらどう判断されるかっていうのは全く考えずに自分の価値観だけでこの人は悪いと判断してその人を怒ります。ということは、この人は悪いと判断するときには一般的な判断はどうかっていうのは考えなくて良いんですよね?自分の価値観だけでこの人は悪いと決めて怒って良いんですよね?それなら、僕は今回一般的な他の人の考えとかを考えずに自分の考えだけで⑦を怒る先生は悪いと判断しましたが、それもOKですよね?それはダメだったら、辻褄が合わないと思います。だから僕が自分の価値観だけで先生は悪いと決めたことに対してけち付けないで欲しいです。先生達こそしばしば自分の価値観だけでこの人は悪いと決めて怒っておられるので、そんなこと人に言えないと思います。なんで先生達は自分の価値観だけでこの人は悪いと決める権利あるのに、僕が自分の価値観だけで先生は悪いと決める権利ないんですか?それ差別じゃないですか?補足説明ですが、先生が誰かを怒るときに自分の判断が一般的かどうか確認しないのが悪いとは言ってないです。「『一般的じゃない=悪い』という風に思われるんだったら」という条件付きです。絶対に確認しなければならないという意味ではなく、そう思うんだったら確認しないとおかしいんじゃないの?っていう意味です。
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