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それに対して嫌なことがあったときにそれらの逆に対応することを考えてもあまり嫌じゃなくなってくることはあまりありません。だから良いことと嫌なことを足し合わせると相殺されてゼロになるというより嫌なことが勝ってマイナスになるような気がします。嬉しいことがあったときに嫌なことを思い出して嬉しい気持ちに傷を付けるのは簡単ですが嫌なことがあったときに良いことを思い出して嫌な気持ちを薄めるのは難しいです。それに「ときには良いこともあるだろう」「いつか自殺しないで良かったと思える時が来る」と思う気にはあんまりなれません。「楽観的に考える」ことと「現実を甘く見る」「油断する」ことの違いがよく分からないからです。楽観的に考えたり前向きに考えたりすると現実に対して甘い認識をしているみたいであまり良い気持ちになれません。両者は本当は違う点があるのかも知れませんがどういう点で違うのかが個人的に分からないです。だから「何事も前向きに行きましょう」という考えと「油断は禁物です」という考えは互いに矛と盾の関係にあるんじゃないかと思えました。前向きに考えることと油断することの違いが分かりませんでした。油断するっていうのはきちんとした科学的根拠なしに自分のフィーリングだけで良い結果を予想することだと思いますが、前向きに考えるのもそれと変わりないと思いました。本当は何かが違ってて、僕がこう思っているのは間違っているのかも知れませんが、それを僕が違いを理解している他の人から聞いて納得できればいいんですけど、多分納得できそうにないです。そこがどうしようも難しいとこです。他の人の考えを聞いても意味が分からなかったことや意味は分かったけど納得できなかったことがありました。逆に自分の考えを他の人に言ってもその人は何を言ってるのか分かんなかったって言ってたときもありました。自分は個人的には前向きに考えることは現実の厳しさをなめることのようにしか思えないので前向きに考えるのはあまり好きではなく何事も前向きに行こうという気にはなれないです。だから自殺しないで頑張って生き続けて幸せになれるのを待つのはなんか現実を甘く見ているみたいで気分的にしたくないです。テストで悪かったときも最初から期待してなかって悪かったときより期待してたけど期待外れだったときの方がショックが大きいと思います。良かったときは、期待してて本当に良かったときも嬉しいけど期待してなかったけど意外に良かったときはもっと嬉しいです。だから僕がいつか自殺しないで良かったと思える時が来ると信じて将来に期待したら結局来なかったときにショックが大きくなりそうなので最初から期待したくないです。

1つ目の理由だけだったら本当に自殺するのかまだもう少し迷っていたかも知れませんが、この2つ目の理由によって、僕が自殺することは完全に決まりました。僕が自殺したのを否定するのはこれをちゃんと理解されてからにして欲しいです。その2つ目の理由は何かと言うと、「自分は将来人を殺してしまうかも知れないと思ったから」です。将来人を殺してしまうかも知れないから、殺してしまわないように、今のうちに死んでおこうと思いました。まず、「自分は将来人を殺してしまうのではないか」っていうのを初めて思うようになったのは、おと年の7月頃です。僕はこの頃に、大学生活が思うように行かないことによって、自分は自暴自棄気味になり掛けていると感じるようになりました。自分の心が変化し始めていると思いました。だから時が経つとこれがどんどんエスカレートして行って、遂には人を殺しても平気だと思うように自分の心が変わってしまうんじゃないかと思ったのです。その頃はまだ大学1年の前期です。これから先嫌なことやきついことが沢山待っています。そして働くようになったら、更に容赦のない嫌なことやきついことが待っていますよね。自分はそれに耐えられる自信がありませんでした。自分だったらそれに耐えられずにパンクしてしまって、殺人とかをやらかしてしまうのではないかと思いました。人の心は、外界の作用の影響を受けますよね。生まれて間もない赤ちゃんとかは除いて、生まれてから十分に年月が経った人に関して言えば、その人の心は生まれ付き持っていた性質だけで決まっているわけではありません。だから今は自分は人は殺しちゃいけないと思っていても、身の回りで嫌なことやきついことが起こることによって、それが自分に精神的ダメージを与えて、それが作用して自分の心が邪悪な心に変えられてしまうのではないかと思ったのです。嫌なことやきついことが何も起きなければ、自分の心は圧力を受けないので、自分が人は殺しちゃいけないと思っているのはずっとそのままかも知れません。でも、嫌なことやきついことが何もない、そんな良いことはありませんよね。そりゃあ、誰にでも嫌なことやきついことは沢山ありますよね。それを避けることは勿論できません。

「人を殺してしまうかも知れない」の意味は、2つあります。1つは、さっき言ったやつで、「人を殺しても別に良いと思うように心が変わるかも知れない」という意味です。あと1つ違う意味があります。それは、「人を殺しちゃいけないことを一時的に忘れ、衝動的に殺してしまうかも知れない」という意味です。元々はやっちゃいけないと分かっていることでも、やっちゃいけないということが一時的に頭から離れて、衝動的にやってしまうということは日常茶飯事ですよね。僕は昔、暴力はやっちゃいけないということが理性的には分かっていても、そのことが頭に浮かばずに、湧き起こる感情の勢いに押されて衝動的に、反射的に、暴力をしてしまったということがありました。そして、暴力をしてしまった後に、暴力をするべきではなかったことに気が付きます。この場合は本当に暴力をしても良いと思っててそうしたのではなく、一時的にそのことを忘れてノリでしてしまった場合です。ダイエットをされている人は、本当は食べちゃいけないと分かっていても、衝動的に食べてしまうということがあられると思います。また、6年前に一時的に塾に通っていた頃に、そこの先生が授業中にクレジットカードのことを話されていました。クレジットカードを初めて使う前は「自分は無駄遣いしないようにちゃんと考えて使うから大丈夫!」と思っていても、実際に使い出すと案外、ついつい必要以上に使ってしまったりしてしまうときがあるから大人になって使うようになったら気を付けてください、と言われていました。あまりにも便利でカードがあると何でもできるからついつい使ってしまうことがあるそうです。自分は自分で自分の感情を上手にコントロールできる自信がないし、自分は精神的にも正常ではないので、理性的には人を殺すのはまずいということを十分に分かっている上でも、あるとき誰かから与えられた非常に強力な刺激によって自分が一時的にその人を殺したいという衝動に駆られ、その衝動に逆らえずに勢いに押されて殺してしまう、若しくはその強い刺激によって一瞬だけその人を殴りたいという強い衝動に駆られ、それに逆らえずに殴ってしまい、そのときの勢いがあまりにも強過ぎたためにその人への攻撃も強くなり過ぎて結果的に亡くなってしまうかも知れないと思いました。想定できるパターンはその人を殺そうとする意図がある場合とない場合の2パターンあります。前者は一時的に殺そうとして殺してしまった場合で、後者は殺す積もりはなくて、意図的にではなく殺してしまった場合です。後者は、殺したい衝動ではなく殴りたい衝動でその人を攻撃してそれが強過ぎたので、その人を殺したいとは思ってなくてただ殴りたかっただけだったんだけど、残念ながら結果的に殺してしまった、という意味です。自分の心に殺したい気持ちが生まれてその衝動でその人を殺そうという積もりで攻撃したわけではないという点で前者とは違います。

また、自分はいつか人を殺してしまうのではないかという心配が強まるようなこともありました。おと年の7月末に折尾警察署の人から、自分をこのままフリーな状態のままにしていたら何か悪いことをしてしまう恐れがあるということで一時的に拘束されたことがありました。殺人をするかも知れないとは言われませんでしたが君は普通の状態じゃないとか自殺をする恐れがあるとか秋葉原で起こした人のように自暴自棄になる可能性があるとは言われました。ということは結果的に自分は殺人をする恐れがあるということになります。僕はそのとき既に自分は人を殺してしまうかも知れないと思っていたので、拘束されたことに対して全く不満はありませんでした。これを受けて僕はいつか自殺や殺人をしてしまうかも知れないと更に思いました。その頃の自分は今の自分とは違って自殺をしたいとは思っていませんでしたがいつかしたいと思うようになるんじゃないかとは思っていました。そしてそれが未解決のまま時間が経って、1年後、自分は自殺したいと思うようになりました。そうなった切っ掛けは分かりません。丁度その時期に大きな出来事があったわけではなく、あったのはその頃の半年前の2月の上旬です。それから半年間そのことで苦しんできました。僕が自殺することは自分の中で迷うことなく完全に決まりました。6月頃迄は、2月にあったきついことを思い出してつらくて死にたい気持ちになることはありましたが本気で自殺したいと思うことは全くありませんでした。1年も経たないうちに自殺しようと思うようになるとは思っていませんでした。でもなぜか突然何の前触れもなくそう思うようになりました。なんでそうなったのかは分かりませんが、2月にきついことがあって、そのことで自分はずっととことんきつい思いをしてきたので、何度も何度も苦しい気持ちを味わっているうちにそうなったのかも知れません。はっきりとは言い切れませんけど。2月に衝撃的な出来事が起きた直後はあまりにも動揺して過ぎて「自殺するかも知れん」と友達に言ったりしましたが、それは勢いに押されて衝動的に自殺してしまうかも知れないという意味です。今の自分のように本気で自殺しようと思っていたわけではありません。自殺したいとは思っていませんでしたがかなりきつかったので、意図的に自殺することはなくても自分の衝動に逆らえずに自動的に自殺してしまうことがあるかも知れないと思いました。しかし8月になったらそれが変わって、本当に自殺したいと思うようになりました。ということは、この文の少し前の方で僕は「これを受けて僕はいつか自殺や殺人をしてしまうかも知れないと更に思いました。」と書いた後に「その頃の自分は今の自分とは違って自殺をしたいとは思っていませんでしたがいつかしたいと思うようになるんじゃないかとは思っていました。」と書きましたが、それが本当にそうなったということになります。1年前に自分が思っていた、いつか自殺したいと思うようになるかも知れないという予想が当たったのです。その頃の自分はまだ自殺したいとは思っていなかったので、後に自分が自殺したいと思うようになることは分かりません。もしかしたらそう思うようになるんじゃないか‥‥と思っていましたが、それが現実になりました。だから次は「自分はいつか殺人をしたいと思うようになるのではないか」という今の自分の予想が現実になるかも知れないと思ったのです。「自分はいつか自殺をしたいと思うようになるのではないか」という昔の予想が実際に現実になってしまったので、「自分はいつか殺人をしたいと思うようになるのではないか」という予想が後に現実になっても全くおかしくないと思いました。その予想は大学1年生のときから思っていて、それを他の人に3人くらい相談したら心配しなくても良いみたいに言われましたが、自殺したいと思うようになるという予想が的中したので、ああもうこれはやばいと思いました。「自分は自殺したいと思うようになるんじゃないか」という昔の自分の予想も他の人が聞いたら無駄な心配だと思うようなことだったかも知れませんが、決してそうではなかったんです。なぜなら僕は今実際に昔の自分が予想していた通り、自殺したいと本気で思っているからです。自殺したいと思うようになるという自分の予想は正解でした。だから殺したいと思うようになるという昔と今の自分の予想も正解しているかも知れません。むしろ本当に殺したいと思うようになるのが自然な流れですよね。今考えたら「今の自分が自殺したいと思っていないなら、これからも自殺したいと思うようになることはない」という他の人から言われそうな考えは間違いでした。だから僕が他の人に相談したら「今の自分が殺人したいと思っていないならこれからも殺人したいと思うようになることはない」みたいな感じで言われましたが、それが正しいとは全く言えないと思いました。実際に昔の自分は自殺したいとは少しも思っていなかったのに、たったの1年で自殺したいと思うようになったからです。たったの1年で変わってしまったので、これから10年も20年も経ったらもう自分はどうなるか分かりません。もし僕が今回自殺しなかったとしたら10年後くらいには今の自分には到底想像付かないような凄いことになってるのがかなり想像できます。僕は今は別に死んでも平気だと思っているので、その時点で今の自分も昔の自分から見たらかなり凄いことになってます。僕もさきおと年頃迄は死にたくないとか死ぬのは怖いと思っていました。死ぬことに対しては何とも言えないような言葉で表せないような恐怖がありました。でも今ではもうそうは思わなくなりました。恐怖が全くなくなりました。前は死ぬのは絶対嫌だと思っていましたがそれは変わってしまいました。なので、今は僕は人を殺すのは絶対嫌だと思っていますが、いつかそれが変わってしまうかも知れませんよね。絶対自殺したくないという気持ちは2、3年足らずで変わってしまったのに、絶対殺人したくないという気持ちは10年も20年も経っても変わることはないというのはむしろ考えにくいと思いますよね。因みにさきおと年頃迄は死にたくないと思ってて、去年の8月頃に自殺したいと思うようになったと書きましたが、おと年と去年の7月までの期間は微妙でした。自殺したいとは思っていなかったことは確かですが、絶対自殺したくないと思っていたかどうかは微妙です。そういうことを考えた記憶があまりありません。絶対したくないというよりあんまりしたいとは思わないとかどちらかと言えばしたくないぐらいに思っていたかも知れません。さきおと年迄と比べたら死にたくないという気持ちは薄れつつあったように思います。去年の6月の時点では、自殺なんて全く考えてませんでした。頭の中に自殺という単語はありませんでした。後に本気で自殺しようと思うようになるとは全く思ってなかったです。しかし7月末頃から自殺を考え始め、8月の頭ぐらいには完全に決まりました。自殺するかどうかはかなり重大なことでしたが自殺するかしないかは殆んど迷いませんでした。自殺するという大きな選択が迷うことなくあっさりと決まってしまうなんて6月までの自分にとっては全く予想できなかったことです。普通だったら自殺しようかなあと思い始めたとしても本当にするかどうかは選択が重過ぎてそこそこ迷うだろうと思いますよね。それに、僕は元々なかなか決められなくて迷ってしまってどうするか考え過ぎてしまう性格だと思っていました。でも自殺するっていう大きなことが迷わないでスムーズに決まったのでこれは意外でした。今の自分にとっては自殺することは当たり前だけど昔の自分がタイムマシンで今に来てそれを知ったらかなり驚くと思います。それを考えたら、人間の気持ちって時が経つと本当に変わるものだなあと思いました。また、自殺することが簡単に決まったのは前の自分には全く予想できなかった意外な展開だったので、本当に一寸先は闇だなあと思いました。なので、僕が自殺しないで生き続けたらこれからどうなるのかも今の自分が予想することは全くできないと思いました。殺したいと思うようになることはないと言い切ることは絶対できないと思いました。自殺したいと本気で思うようになったという結果を受けて本当に一寸先は闇だと感じたので、これから先のことについても本当に闇なので、このままだったらどうなってしまうのか怖いです。昔は自分も死ぬのは嫌だと思っていたのに、今では別に死んでも平気だと思うようになりました。1つ目の理由のところで書いたように、本当にそうです。だからそれと同じような流れで今は自分は人を殺すのは絶対嫌だと思っているけどいつか人を殺しても平気だと思うようになりそうで怖いです。感覚的には自分が殺しても平気だと思うようになるのは考えられないような気がしますがそれは間違った認識っぽいです。それを考えると「自分は将来殺しても平気だと思うようになるのはあり得ない」という感覚は信用すべきでないと思いました。感覚的には自分が本当に殺しても平気だと思うようになるとは思えませんが理性的に考えたらそうなる可能性は十分にありますよね。僕は中学3年のときに突然醤油が特別に嫌いになり、本物の液体は勿論醤油が入っている瓶や醤油が載っている写真の醤油が書いてあるところを指で触るのも嫌になり、触ったら手を洗わないと気が済まないようになりました。それで、今自分が醤油の瓶や写真を触るのが嫌だと思っているのが触っても平気だと思うようになるのは、結果的には良いことです。でも殺しても平気だと思うようになるのはそれとは違いますよね。醤油の瓶や写真を触っても何も悪いことは起きませんが殺してしまったら他の人を苦しめることになってしまうからです。自分が殺しても平気と思うようになってしまうのを避けたいのは自分が殺すのが気分的に嫌だからというのもありますが勿論それだけじゃなくて他の人に迷惑が掛かってしまうからということもあります。自分が将来本当に殺してしまったら大変です。だからそれを避けるために自分は予め自殺しておいた方が良いと思いました。自殺するのも良くはありませんが他殺してしまうよりは増しでしょう。僕が今回自殺したことによって誰かに迷惑が掛かってしまうことがあるかも知れません。でも他殺してしまったらそれ以上に深刻に迷惑が掛かってしまうと思います。だから本当に殺してしまう前に自殺しといて他の人に掛かってしまう迷惑を最小限にとどめておきたいです。

また、自殺する以外で自分が人を殺してしまわないようにする方法も考えましたが自殺する以外にはあまりいいのが思いつきませんでした。自分は人を殺してしまうかも知れないから自分を拘束して欲しいと言っても分かってもらえなくて何を言っているのかと怒られてしまいそうです。いっかい大学の先生にレジュメのファイルを送って欲しいですできたらと言っただけで怒られてしまいましたからね。それに、殺してしまうかも知れないというのは建前で大学から脱出したいとか仕事などをしたくないというのが本音だと思われます。そういう風に思われて、ずる賢いと思われるのが嫌です。だったら死ねばいいじゃんって誰かに言われそうです。確かにそうです。死ねば済む話なのにわざわざ自分を拘束してもらうようにするなんてばかばかしくてみっともないような気がしてやってられないです。そうするのは正直恥ずいです。ウェブ上で悪口を書かれそうです。それは遣り切れません。それぐらいなら自殺した方が増しです。今迄の間には誰かに何かを頼んだりそれに近いことを言ったら嫌な言い方をされたことが何回かあったので、それで僕はもう何かを頼むこと自体が嫌いになりました。強制的にやらせるわけじゃなくても軽く頼んだり尋ねたりしただけで嫌な言い方をされます。嫌な言い方されて苦しむぐらいなら自殺した方が楽です。だから自分を拘束するように頼むのはしたくないです。また今までのように嫌な言い方をされるかも知れません。それが嫌なので何かを頼むのはもうしたくないです。

わざと悪いことをしてわざと捕まるという選択肢もあるかも知れませんがそれもやりたくありません。殺人より軽い犯罪も殺人程ではないけどするのは嫌です。犯罪をやった後周囲の人達から悪く思われるようになるのがつらいです。死ぬことより他の人から悪く思われたり嫌われたりすることの方がつらいです。たとえ自分が殺してしまうのを避けるためであってもその犯罪をやったのは許せないと考える人が多分いると思います。それになぜそんなことをしたのかと聞かれて自分が殺してしまうのを避けるためにしたのだと言ってもそれを信じてもらえるか分かりませんね。それは理由を聞かれたときのために予め準備しておいた口実であり本当の動機は自分が殺してしまわないようにしようと思ったからではなくその犯罪自体がやりたかったからだと自分の想像で勝手に決め付けられても仕方ないです。この場合でも前に書いた、自分を拘束するように頼んだ場合と同様にずるいと見なされます。殺してしまわないようにするのが本当の目的だと分かって欲しいと思ってもどうしようもありません。いくら真剣に言ってもそれは口実に過ぎないと見なされざるを得ません。理由の如何を問わず犯罪をやった時点で信用を失っているからです。それは相当きついです。本当だと信じて欲しいなら自殺するしか方法がないと思いました。僕は自分が殺してしまわないようにしたいというのが口実だと思われたくないです。本気でそう思っているということを分かって欲しいです。だからそのためには自殺するしかないと思いました。それ以外に何か方法ありますか?あったら教えて欲しいです。あるぐらいなら事件とかで本当は犯人じゃないのに犯人だと見なされて捕まった人はそんなにきつい思いをしなくて済むでしょう。それに、自分はどちらかと言えば自殺よりは犯罪の方が倫理的に悪いことだと思っているので、自殺するという選択肢と犯罪をしてわざと捕まるという選択肢で後者を取るのは悪だと思いました。だからこの選択肢は気分的に選びたくないです。自殺するのも良くないかも知れませんが犯罪はもっと悪いと思いました。人を殺すのはしたくないですと書きましたがそれ以外の犯罪も殺人よりは増しだけどやっぱりしたくないです。どちらかと言えば犯罪するよりは自殺する方が正義的だと思いました。それに誰かに自分を拘束するように頼んだりわざと捕まることで自分が殺してしまわないようにすると他の人に頼ることになるので気分的にあんまり良くないし誰かから他の人に頼るなとか誰かが何とかしてくれると思ったら大間違いだとか言われたら嫌なのでできるだけ自分のことは自分で何とかしたいです。だから他の人には頼らないで自ら死にたいと思います。他の人に頼らずに自殺もせずに自分の力で解決させるのは絶対無理だと思います。最初から無理だと決め付けて諦めてしまうのは一般的にはあまり良くないことだとされますがここではそれは当てはまらないと思いました。殺人をしてしまったら取り返しが付かないからです。自殺もそうですが他殺の方が程度が深刻ですよね。できるかどうか分からなくてもチャレンジしてみることが大事かも知れないけどこれに関しては挑戦すべきではないと思いました。「チャレンジしてみたけど、ダメだった(つまり、本当に殺してしまった)」では、ダメですよね。「優勝を目指してトーナメントなどに挑戦したけどダメだった(負けた)」だったら、取り返しの付かないことになるわけではないし、その失敗から教訓を得て成功の基にすることができるでしょう。チャレンジすることが大事だと言われるのは、成功したら達成感が得られるし、失敗したとしてもその失敗から教訓を得ることができるからですね。しかし僕が人を殺してしまわないようにすることにチャレンジした場合は、成功したらいいんですけど、一度失敗したら全て終わりです。その先は何もありません。お先真っ暗です。トーナメントとかで失敗した場合とは話が違います。できなかったときのことを考えると僕が人を殺してしまわないようにすることにチャレンジするわけにはいかないと思います。僕がそれにチャレンジすることは、お酒を飲んだ人が車を上手に運転することにチャレンジすることと一緒だと思いました。実際にはお酒を飲んだとしても事故ることなく普通に運転できる可能性は完全に0ではありません。じゃあ、最初から「ちゃんと運転するのは無理だ」と見切りを付けずにチャレンジしてみることが大事ですか?違いますよね。失敗したら取り返しの付かないことになるからです。勿論それは法律で禁じられているかどうかに関わらずです。また、例えば天候が雷気味のときにどこかに行きたかったときに「無事に目的地まで行くのは無理だ」と見切りを付けて外出するのを諦めるのは悪いことですか?僕もそれと同じようなことをしていると思いました。だから僕は今回自殺せずに自分の力で解決するのは無理と決め付けてそれを諦めましたが、そのことを悪く考えないで欲しいと思いました。

自分の心が変わってしまうのは自分の意思ではどうしようもないので自分が殺したいと思うようになることがないようにするのは難しいと思いました。感情はコントロールできないので一度心の中に人を殺したいという気持ちが生まれたらそれを消すことはできません。今の自分も「自殺したいと思わないようになれ」って言われても絶対無理です。感情は自分の意思では取り除けません。邪魔な感情は歯に付いた歯垢のように取り除くことができるんだったらダイエットとかをされている人は食べたい感情を取り除くことができるので苦労しないでしょう。また、自分が将来人を殺してしまわないようにするにはどうすれば良いか分からないなら取り敢えず誰かに相談することもできると思いますが多分相談しても解決しないでしょう。相談することで今まで挙げてきたもの以外の解決の手口は見つかるでしょうか。もうあれらの他にはなさそうですよね。なさそうなので相談しようと思ってもなかなかしづらいです。過去に相談したことがありましたがこれ以上は相談したくないです。相談したら相談を受けた人が困り果ててしまうんじゃないかと心配になります。そしてその人にとってのストレスになってその人は僕を恨むようになるかも知れません。他の人に苦しい思いをさせたくないので、相談はしたくないです。悩みの内容が重いので他の人には打ち明けられません。もし相談したらその人にとってはかなり重い荷物になるだろうなーと思います。自殺する直前は自分が殺してしまわないか心配だということは誰にも相談していません。自分はそれを解決させたいというより死にたいとしか思っていなかったので相談したくはならなかったです。

自殺したメインの理由はこの2つです。あと、おまけみたいなのがもう一つあります。これは自殺すると決めたときはまだ頭になかった考えで、決めた後暫く経ってから思い浮かんだ考えなので「自殺すると決めた理由」ではありませんが、これが思い浮かんだときは自殺したらそういう意味もあると思い、更に自殺しようと思いました。自殺することはこれが浮かぶ前から既に決まってたのでこれがなかったとしても僕が自殺することに変わりはありませんが、自殺したいと思うことと全然関係ないわけでもありません。また、1つ目の理由で自殺したいと思うより先にこれが思い浮かんでたらそれで自殺したいという気持ちが生まれていたかも知れません。だからこれは僕が自殺した理由に入るのか入らないのかがよく分かりませんでした。理由に含まれるとしてもこれは然程大きな理由ではないですが、これも一応伝えときたいと思いました。僕は一回大学の先生から自分の受講状況が悪かったことをとやかくバカにされたので、僕はその先生に恨みがあるので、自殺することによってその先生にそれの仕返しをしてやろうと思いました。それ以外に自殺する理由がないならこれからも生き続けることとその先生に仕返しをすることのどちらを選ぶか迷うかも知れませんが僕はどうせ他の理由で自殺するので、この機会についでにその先生への仕返しもしようと思いました。僕はその先生からかなり嫌なことで納得できないことを言われて散々嫌な気持ちにならされたので、その先生が許せなかったので、仕返しをしてぼこぼこにしてやってぎゃふんと言わせて泣かせてやりたいと思いました。さんざんって惨々って書きたくなるけど散々って書くんですよね。自殺せずに仕返したらその先生に怒られたり更に反撃されたりするかも知れないけど僕はいなくなるのでそういうことはないかも知れません。去年の2月に「情報1年の河上 翔です。僕は来年度に線形代数学Ⅰを再履修します。自分はスピードが遅いので前期は情報メディア工学実験でかなり時間が掛かりそうで他の科目は殆んど勉強できる自信がありません。だから春休みにできるだけ勉強しておきたいです。そこで、レジュメが欲しいです。教科書は持っていますが、レジュメがあるとなお良いです。なのでレジュメのファイルを送ってくださったら嬉しいです。去年貰ってなくて済みません。無理なら、良いです。できたら、お願いします。レジュメがあると勉強しやすくなります。」って言ったら出席は半分で試験は受けていない状況でファイルを送ってくださいはあまりにも身勝手ではありませんかって言われたのでhttps://www.dropbox.com/sh/3qvp4qg6zvjb5dg/AACbZsvnnwyRa1tBAfmrOfETa?dl=0&preview=%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%85%88%E7%94%9F%E3%81%B8%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%EF%BC%882%E5%9B%9E%E7%9B%AE%EF%BC%89.txtって返信したら控え目に書いても、通常は紙で配布しているものにもかかわらずファイルで欲しいという特別な対応を求め、ファイルを送るという手段を指定して相手の立場に迄踏み込んでいるから印象は良くない、強制していなくても一般的には依頼として受け止められる、控え目に言っても強制力が大きく下がるわけではない、如何なる理由があろうともやるべきことをやらずに自分の都合を持ち出したことに対して言ったっていう風に言われていました。10月にはhttp://ideapad.jp/2ce0097a/view/、http://ideapad.jp/325d7e20/view/、http://ideapad.jp/fbaceea2/view/というメールを送りました。スマホでもひらけるけどスマホでひらいたら字が小さくて読みにくいのでパソコンで見てください。さっきの長いURLも、スマホでひらいたらアプリをダウンロードしないと見れないかも知れないのでパソコンだったら多分普通にひらけると思います。万が一これらのアドレスがひらけなかったときはhttps://www.evernote.com/shard/s368/sh/2abf07db-1c49-4e3e-b3e7-06bf6a0bae7c/e5b3e077475516706504839051dd897dかhttps://1drv.ms/w/s!AvHKTWzCd5pdlmjVjSuMthg-R4Gkをひらいてみてください。これは予備のアドレスなので、書いてある内容は変わりません。後から振り返ったらちょっと必要以上に力を入れて長く書き過ぎたと思っていますが、意味不明な所もあると思いますが、考えがどんどん進み過ぎておかしい内容になっている所もどこかにあるかも知れませんが、もしあったら申し訳ないですが、やっぱり先生が僕を身勝手だと言われたのはおかしいと思いました。このメールの中では自分の感情で他の人を評価しちゃいけないと書いていましたが、確かに複数の人達を正確に平等に評価したいなら感情は判断材料にしない方が良いかも知れませんが絶対にしちゃいけないとはちょっと言いにくいと後から思いました。だから人を叱るとき自分のストレス発散のためではなくその人の教育のために叱っている積もりなのなら感情はなるべくあまり入れない方が良いとは思いましたが一概にしてはいけないというのは間違っていたかも知れないと思いました。実際にそれを一切しないようにするのはなかなか難しいと思ったからです。でもメールの中でこういう話を書いたのは一つはその先生が、自分が僕に身勝手だと言ったのは僕に対する教育のためみたいな言い方をされていたからです。先生が僕に言ったことは僕の教育に役立っているとは思わないで欲しいということを伝えたいと思いました。また自分がやるべきことができていないで他の人ができていないのを言うのも自分のできてないこととその人ができてないことが全く同一のことの場合と別のことの場合の2つのパターンがありますが、前者はちょっとまずいと思いますが、後者は微妙だと思いました。その先生に関しては後者にあたります。自分のできてないことと違うことで他の人ができてないのを注意するのがダメだったら他の人を注意できるのは誰から見てもやるべきことが完璧にできている人だけということになります。だから自分のことができていない状態で他の人に注意するのが全部ダメともずばっとは言い切れにくいと思ったのでその部分も間違っていたと思いました。メールの中で間違ったことを書いたので申し訳なかったです。すいませんでした。でも僕はまだその先生には謝ってもらってないので僕もその先生にメールで間違ったことを書いて送ったことを謝る積もりはないです。このメールで僕が書いたことが完璧に理に叶っている自信はありませんが、それをわざわざ見せたのは、その先生に仕返しをするためです。ただ自殺するだけではその先生への仕返しにはならないため、遺書の中にその先生のことを書いて僕がその先生に送ったメールも見せておきました。でも他の人がこの遺書を読んでくれなきゃその先生への仕返しにはならないし、他の人に遺書を見せてもその人がそれを読んでくれるかどうかも分からないので、少しでも多くの人がこれを読むようにできる限り最大限に沢山の人にメールとかで僕が書いた遺書を自殺する直前に見せました。

そのメールではその先生がされたことを大げさに悪く書き過ぎたと思いましたがやっぱりその先生が僕が身勝手じゃんって言われたのは納得できません。自分が誰かに何かを言おうとするとき、その人がそれを聞いたらどう思うのかっていうのが問題ですが、それを実際に言う前に調べる方法はありません。相手のことを考えただけでは解決しない問題です。それで解決するんだったらとっくに解決してるでしょう。だから何かを言う際に相手のことを考えさえすれば相手が悪い印象を受けることはないとは言えませんよね。もしそれが正しいんだったら人間関係でここ迄苦労しないと思います。それで苦労するのは相手のことを気遣って物を言ってもその人が嫌だと思うことがあるからです。ということは「相手のことをちゃんと考えた⇒相手は悪い印象を受けない」は偽ですよね。だからこれの対偶「相手が悪い印象を受けた⇒自分は相手のことを考えてなかった」も偽になります。だから先生が悪い印象を受けたから僕は先生のことを考えていなかったと判断するのは間違いだと思いました。身勝手は相手のことを考えず自分のことしか考えないという意味です。僕が身勝手っていうのがもっともだったら僕はその先生のことを考えておらず自分のことしか考えていなかったということになりますが、それはどう考えてもおかしいと思いました。最初の短いメールでは先生がファイルを送るのが困難ならば断りやすいように言っているし、僕は先生のことを考えています。出席状況が悪かったことを身勝手な理由にされましたが、なんでそれが僕が相手のことを考えていない理由になるのか納得できないです。出席するのも簡単な人にとっては簡単ですが、難しい人にとっては難しいんです。やる気さえあればできることだと思っている人がいたら、その人は出席で苦戦した経験がなく、なかなか出席できなくて悩んでいる人の気持ちを理解したことがないからそう思っているだけです。自分は特に苦労することなく出席できてきたから一概に出席するのは簡単なことだという先入観を抱いているのかも知れません。そのため欠席した人がいたらその人は出席する意思がないように思えてしまうんだと思います。それは間違いです。授業中の居眠りもそれと一緒だと思いました。欠席や居眠りした人を怒る人はどうしても欠席や居眠りしてしまう人達の気持ちが分からず相手のことを考えられない心の狭い人ですね。だから出席しようとしても欠席してしまうこともあるんです。授業中ずっと起きとってちゃんと受けようとしても居眠りしてしまうこともあるんです。実際ありました。だから欠席したからと言ってその人は出席する気がなかったとは言い切れません。だからその講義の先生のことを考えていなかったとも言い切れません。だからなんで出席状況が悪かったことが僕は先生のことを考えていない理由になるのか分かりません。自分は出席で苦戦していたのに、その結果を僕が身勝手な理由にされ、出席するのをさぼっていたみたいな言い方されたのが許せませんでした。自分が真面目に苦戦していたことをバカにされたと思いました。僕は去年の8月はそれで苦しみました。ちょっとじゃないです。ちょっとだったらあんな長いメール書きますか?苦しんだのでそれに見合うサイズの仕返しをしたいと思いました。僕は「レジュメのファイルを送って欲しいです。無理なら、良いです。」って言ったらその先生に怒られました。だから他の人に「僕が殺人をしてしまわないように拘束して欲しいです。無理なら、良いです。」って言ったらまた怒られてしまうかも知れません。拘束することはファイルを送ること以上に特別な対応だからです。こう言ったらしてもらえ得ないし無理なら良くはないので僕が実際に言うとしたら無理なら良いと言ったりはしませんが、言ったとしても怒られるかも知れません。特別な対応を求めるのは強制していなくてもダメだったら僕は自分が殺人をしてしまわないように拘束するのを頼むことができないし、それがダメだったら犯罪をするのはダメじゃないはずがないので、僕が殺してしまわないようにするには自殺するしか方法がなくなるのです。無理なら良いですと書いていてもその先生に怒られたので、それでもダメだったら相手に自分の希望を伝えることが不可能になります。そしたら僕は将来殺人をしてしまわないか心配だからそんなことがないように拘束して欲しいと思っているわけではありませんが、思っていたとしてもそれを伝えることができません。その先生は特別な対応を求めるのはたとえ強制していなくても悪いみたいに言われていたからです。僕はその先生が身勝手だと言われたのは間違っているとは思っていますがその先生が僕に身勝手と言われたこと自体が本当の意味で絶対悪いとは思ってないです。感情的には許せないと思っていますが、理性的な判断に基づいてはその先生は悪いのか悪くないのか分からないと思っています。なんで許せないと思っているのにその先生は悪いとは思わないのかというと、僕のその先生に対する許せない気持ちは僕の個人的な感情に過ぎず、本当の意味でのその先生のされたことの倫理的な悪さの度合いを表しているわけではないからです。僕はその先生が僕の出席状況が悪かったことをバカにされたのは許せないと思っているんですが、だからその先生は悪いと決め付けるわけには行きません。だからその先生に対してはただ怒っているだけであってその先生は悪いと確信しているわけではありません。僕はその先生が悪い理由を合理的に誰もが納得できるように説明しきる自信はないので、胸を張ってその先生は悪いと断言できるような状態ではありません。僕は怒っていますが、それはその先生が悪い理由にはなり得ないです。その先生が悪いというより自分が敏感に怒りの感情を感じ取り過ぎているのかも知れないからです。だから本気でその先生は総合的に判断して悪い人とは思ってないです。自分がまだ知らないことでその先生には良いところもあられるかも知れません。ただし、怒ってはいます。感情はどうしても湧き上がって来るものですからね。また、僕はその先生に苦しめられたと思ってもいます。その先生は僕の自殺したい気持ちを強めたとも思っています。でもじゃあその先生は悪いのかっていうのはまた別の話になると思います。それは難しいです。僕には分かりません。

でもそれでも仕返しをしたいのは、その先生のことがかなりむかつくからです。普通は仕返ししたくてもなかなかやりにくいですが僕は自殺するので仕返しはやりやすいです。その先生は本当に悪いのか分からないのにただむかついたという理由で仕返しをするのはおかしいかというとそんなことは全くないと思います。なぜならその先生が僕に怒ったのも僕にむかついたという理由からだからです。その先生の返信には僕がメールは印象が良くないって書いてありました。ということはその先生はメールを読んで悪い印象を受けたという理由で僕を怒ったということです。そうじゃなかったらわざわざ僕を怒った理由ではないことを取り上げても意味がないためそんなことは言われないはずです。印象っていうのの意味は人がある対象から受ける感情のことなので、その先生が悪い印象を受けたっていうのは言い換えると気分を害されたということですよね。つまりその先生は僕に腹が立ったから怒ったということに他ならないです。その先生が僕にむかついたという理由で僕を怒ったんだったら、それと同様に僕もその先生にむかついたという理由でその先生を怒って良いはずです。その先生は僕にむかついたという理由で僕を怒られたんだから、僕もその先生と全く同じようにして、その先生にむかついたという理由でその先生を怒ってもその先生は何も文句は言えないはずです。僕はただその先生の真似をしただけだからです。僕がその先生のされたこと(自分がむかついたという理由で人を怒ること)と同じことをやってその先生がそれはおかしいって言ったらその先生はおかしいです。誰かが他の人に暴力をして、された人がそれと全く同じ種類の暴力をやり返して、やり返された人(最初に暴力をした人)がその人に「暴力をするなんて最低やん」って言ったらおかしいですよね。それはその2人の人の身分の違いに関係なくそうだと思います。その先生は僕のメールに悪い印象を受けたという理由で、僕に悪意があったかどうかや僕が悪い印象を与えてしまった理由などを考慮せずに僕を怒ったということは、その先生は「他の人に悪い印象を与えたら与えてしまった人は悪意の有無に関わらず理由の如何を問わず相手に謝るべきだ」―① と考えられていることが分かります。それが正しいなら、その先生も僕に謝るべきです。なぜなら、僕はその先生が僕が出席状況が悪かったことを理由に身勝手だと言われたのを聞いてかなり悪い印象を受けたからです。
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Notes.io is a web-based application for taking notes. You can take your notes and share with others people. If you like taking long notes, notes.io is designed for you. To date, over 8,000,000,000 notes created and continuing...

With notes.io;

  • * You can take a note from anywhere and any device with internet connection.
  • * You can share the notes in social platforms (YouTube, Facebook, Twitter, instagram etc.).
  • * You can quickly share your contents without website, blog and e-mail.
  • * You don't need to create any Account to share a note. As you wish you can use quick, easy and best shortened notes with sms, websites, e-mail, or messaging services (WhatsApp, iMessage, Telegram, Signal).
  • * Notes.io has fabulous infrastructure design for a short link and allows you to share the note as an easy and understandable link.

Fast: Notes.io is built for speed and performance. You can take a notes quickly and browse your archive.

Easy: Notes.io doesn’t require installation. Just write and share note!

Short: Notes.io’s url just 8 character. You’ll get shorten link of your note when you want to share. (Ex: notes.io/q )

Free: Notes.io works for 12 years and has been free since the day it was started.


You immediately create your first note and start sharing with the ones you wish. If you want to contact us, you can use the following communication channels;


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Regards;
Notes.io Team

     
 
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