Notes

戯言

「なあ…虹ってどうやってできとると思う？」

薄暗いカラオケボックスの中。色の無い静寂に絵の具を一滴ぽとんと落とすように奴の声が響く。

「あれやろ、雨粒が太陽の光が通してさ」
「ちゃうよ！そんな現実的な話したいんとちゃうねん！もっと夢のある話しようや」

虹に夢もくそもないやろ。

「なんや、夢のある話って」
「わからんやつやな…ええか？虹ってのはな、昔々空の上に住んどる神様が離れ離れになった王子さまとお姫さまを哀れんで泣いたんや、その涙でできた橋やと思うねん！その橋渡って二人は再び巡り会うんや」

なにいっとん、こいつ。

「それ七夕伝説やん」
「いやいや、ちょっとちゃうやろ？七夕伝説に神様の涙はでてこーへん」
「まあ…」

そこで再び、静寂が訪れた。カラオケの液晶モニターには歌手が貼り付けたような笑顔でインタビューを受ける姿が淡々と映しだされている。遠くの方で隣人の下手くそなバラードが聞こえた。


「いや、おかしいやろ」

沈黙を破るように声を上げて奴を睨みつけた。俯いている奴の肩がびくっと揺れる。

「絶対おかしいやろ、なにが楽しくてこんなせっまい部屋にお前と二人で長いことおらなあかんねん！話があるからって呼び出したのお前やろ、いつになったらその話とやらは始まるんや？もしかして虹の話聞かせるためだけに呼んだんか？」
「…ちゃうよ」
「じゃあ、なんやねん」
「引っ越すんや」

一瞬、奴の発した言葉の意味が理解できなかった。ただの記号として「ヒッコス」という字面だけが脳内に刻まれる。

「…引っ越す？」
「うん」
「…どこに？」
「東京」
「そっか…じゃあもう会えんようなるな」
「うん」
「その…手紙書くから」
「…うん」

それ以上奴にかけてやる言葉が見つからなくて、言いたいことが次から次へとでてくるのに言葉にならなくて、黙り込んでいると奴がぽつんと呟いた。

「なあ…虹ってどうやってできとると思う？」

相変わらず俯いていて奴の顔は見えない。


「会いにきてや」
「…飛行機でもなんでも乗って会いにいくよ」
「ちゃう、そんな現実的な話したいとちゃう」

奴がぱっと顔を上げる。今にも泣きそうな顔で笑ってた。

「虹の橋渡って会いにきてや」
「…まだその話続いとったん」
「なあ」
「わかったって…会いにいく、虹の橋渡って会いにいくよ」
「…絶対やで」
「うん、絶対」

画面の向こう側からの気の抜けた笑い声が少し切なげに聞こえた。


結局そのあとお互い気まずくなって一言も交わすことはなく、カラオケボックスを出る頃にはもうあたりは随分と暗くなっていた。奴と別れてとぼとぼと歩いていると、向かいからお揃いの楽器ケースを背負った仲睦まじげな二人の少女が歩いてくるのが見える。ああやって奴と話すことももうないのかと思うと急に虚しくなった。

だいぶ歩いた頃、ふと尻ポケットに違和感を感じて手を突っ込んでみると折りたたまれたレシートがでてきた。広げてみると先程までいたカラオケのレシートで、なんだ、レシートかと思って近くのゴミ箱に捨てようとしたところで、はたと何か裏に書いてあることに気づいた。

裏返すとそこには奴の字でこう書いてあった。

「ところで、今日なんの日か知ってる？」

してやられた。くしゃっとレシートを思いっきり握りしめて、奴が向かっていった方向へと駆け出した。



今日がなんの日かわからないという読者の皆さまには奴の手紙の続きが全てを説明してくれるだろう。レシートの裏にはこう書いてあった。

「ところで、今日はなんの日か知ってる？4月1日、エイプリルフールやで！まさかほんまに引っ越すと思った？騙されてやんの笑」